町中囲炉裏自然農計画どうよ


アトリエ長期計画では今日は餅つきの予定だったのだが、コンニャク製作の後片付け(ビニールに小分けして冷凍してみることにした)や料理などをしているうちに時間が過ぎる。室内全体が片付かないうちから次々に新たなことを始めるので、餅つきの前にもやるべきことがいっぱいなのだった。

そのうち藤岡のIさんが遊びに来た。Iさんは農業人で、この辺りに落ち葉を集めに来たのだった。ちょうど肉団子入りの鍋物を仕込んでいたので食べてもらうことにする。
「旨いですね! 本当に味付けしないでこのままが美味しいや」
「ウチの野菜は小さいけど、甘くて深いでしょ」
「うん。でもね、お客さんって残念ながら野菜を、味でみないんですよね」
ようするに見てくれで選ぶわけだね。

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確かに、いくら旨いといっても、僕らの野菜を店頭に並べたら見劣りするわな。でも、里に下りて他の畑をみるとき。雑草の全く生えていない土に、どでかい白菜がびっしりと並んいる光景は、異様に感じる。その背後にたっぷりの牛糞や化学肥料、そして虫避け消毒が見えてしまうのだ。

そして、そのどでかい白菜は、それ自身に味がない。そこでキムチ鍋やすき焼きのような、濃い味付けが好まれる、という連鎖があるのではないだろうか。もちろん水と火の質も鍋の味を大きく変えてしまう要素なのだが。

ところで、アトリエで料理していると、たとえば鍋料理の種類の命名が難しい。肉団子入りの鍋、と書いたが中にはジャガイモ、ニンジン、ハクサイ、ダイコン、コンブ、乾燥グリーンピスが入っている。肉団子には乾燥柚子皮とショウガ入りである。ようするに畑にあるもの、ストックがあるものを使っているだけで、その結果、料理の方向が決まっていく。町での暮らしはそうではない。まず料理名(献立)があって、レシピがあって、足りないものをスーパーに買いにいくのである。

その野菜は見てくれ重視なので味がない。水道の水がマズいのでどんなにいい昆布や鰹節を使っても、感動的な味にならない。薪の火などは料理に使うすべもない。ではどうしたらいいか? ここで大胆で過激な発想をひとつ。

いま、地方都市では郊外店大型店に客を取られ閑古鳥が鳴いている。今後もこの傾向は続く。同じ土俵で戦うということ自体がまちがいだ。その大型店舗が安売りでいくなら、質を上げ、本物で勝負すればいい。

まず、町の中に小さな森林を創出し、それを点在させ、薪を確保。水は井戸でも特別な上水道を引くなりして、ピュアな天然水を確保する。この二つは絶対条件だ。そして、駐車場のアスファルトをひっぺがして農地にする。

石積み、木造軸組み、土壁、漆喰壁の本物の木造構造物を復活。煙抜きのある吹き抜けと土間の空間を作り、囲炉裏とカマドを復活させ、そこで薪や炭を燃やす。畑は森林からの木質堆肥と、薪を燃やした後の木灰を中心にした、徹底・自然農で行く。レストラン(これは厳密な商売にしない。味見ができるようなもの)と野菜売場を併設。

現在の上下水、電気、ガス、などは温存しながら、隣接する里山を完全に活かしていく町生活にシフトする。なーんて「町中囲炉裏自然農計画」面白いんじゃないでしょうか。前橋なんてモデル都市にぴったりだ。

これで教育、医療、失業問題も解決じゃん?

追記:旧ブログで拍手多数の人気記事です。


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