今年はエゴマをまいてみたが、葉っぱはごわごわしすぎて、味は苦く、香りも強烈すぎて食べられなかった。こってりの焼き肉などをこれに巻いて食べればバランンスがいいのかもしれないが、アトリエの食卓はほとんど菜食に近いので使い切れなかったのだ。が、そのまま放っておいたら花が咲き、種子がいっぱいできた。
花穂の構造はシソと同じだが、より大きく、なにより香りが独特だ。縁側で種取りしていると、その香りが部屋中にたちのぼる。このエゴマの種はアルファリノレン酸が多いとかで、食用油の原料として見直されているらしい。油をとるにはナタネのように種を圧搾するのだが、ただ煎ってゴマのように食べることもできる。
煎ったものをチャパティに混ぜ込んで焼いてみた。非常に美味しかった。
今年畑でできた小麦を石臼で挽いた全粒粉と、市販の群馬産地粉を1:2くらいの割合で混ぜ、水と塩少々を入れて練って、一晩寝かせておく。それを下の写真のように囲炉裏で蓋付きの鍋(ステンレス3層鍋)で焼いて食べる。というのが、この頃のアトリエでの定番である。
この方法だと、手間も燃料もかからない。鍋底には最初に極薄く油の被膜をつくっておけば、何枚焼いても焦げつくことがない。直火で網焼きだと燠炭を使わねばならないが、鍋ならスギ枝薪の炎でもOKだ。しかもいちどに大きなサイズのものが焼けて効率がいい。石臼で挽く手間はかかるが、市販粉の割合を多くしてその手間を少なくする。しかも、全部が全粒粉よりも、精白した地粉の割合を多めに混ぜたほうが、口当たりがよく美味しい(それでも色は十分に茶色)。群馬の場合、精白地粉は直売場などで新しいものが手に入る。
全部が精白した地粉で作ったチャパティと、石臼挽き全粒粉を3割混ぜたチャパティとを比べてみると、後者のほうが層状にふんわりと、柔らかな食感がある。寝かせている間に、小麦の中の天然酵母が自家発酵をしていると思われる。だから、砂糖はまったく入れていないのに甘みがあり、食べて非常に美味しく感動がある。
石臼はちょうど2年前の12月に買ったものだ。骨董屋で昔のものを買い求めたのではなく、農業資材センターの「ファームドゥ」というお店で買った新品だ。なぜ新品を買ったかというと、最近のものは高い技術で精巧に作られており、軽く回しやすいと思ったからで、実際に使いやすい(値段は12.800円だった)。このサイズはもともと抹茶用なのだが、ゆっくり回せば小麦でも蕎麦でも挽ける。最初の頃は2~3度挽きしていたが、少量づつ粒を入れながらゆっくり挽いたほうが1度挽きで済み、慣れるとこのほうが早い。下側に粉受けがデザインされているところが新しく、心棒は金属(真鍮)が使われている。材は御影石(花崗岩)だが、おそらくコンピュータ制御された機械で彫られているのだろう。
この石臼にしても、ステンレス3層鍋にしても、現代の技術があって登場したもので、これを囲炉裏の暮らしに取り入れれば、また新たな田舎の食文化も生まれよう。
この頃思うのは、自然食や健康食のレシピというものは、本当は農から加工から食までトータルに見ていかねばならないということだ。「小麦の全粒粉は栄養価が高く、食物繊維が豊富で健康にいい」といわれても、現実には、輸入小麦はポストハーベスト残留農薬が多くて、それは外皮に多く残るので「輸入小麦の全粒粉」はかえって危険だといわれている。
いま天然酵母から石窯まで、自然食系の様々なパンづくりのノウハウが公開されているけれども、暮らしのなかにそれを取り入れるなら問題は
・栄養価が高く安全安心
・美味しくて毎日食べ飽きないこと
・料理手間がそこそこ
・燃料コストが低いこと
ということだろう。これらを考えた上で絶対に外せないものが「小麦の自家栽培」と「石臼製粉」である。そして燃料として「薪火」を使うことだが、昨今流行の石窯は、薪ストーブと同様に薪を大量消費するので、僕らは鍋焼きを考えた。しかもチャパティにすることで調理手間を最短にすることにしたのである。発酵時間をもたないチャパティは、パンのふくらみや柔らかみがないので好まれる食べ方ではないが、挽きたての粉を混ぜるとそうではないようなのだ。
小麦は前日に挽いて夜のうちに練っておく。翌日食べる分だけ、前夜に挽く。削りたての鰹節が、袋入りの削り節と似て非なる美味しさと豊潤な香りをもつのと同様、これで油分のある小麦胚芽周辺の酸化を極力防ぐことができる。また、電動ミルは挽くうちに熱くなるが石臼はそうはならないので、酵母が熱や振動から守られる(酵母菌は熱に弱く40度以上になると死滅し始める)。
一晩寝かせるだけで自家発酵が進むのは、塩素の入らない水を使う、無農薬・天日乾燥の小麦であること、だけでなく、直前の石臼挽きというところにも秘密があるのではないだろうか。小麦の中の酵母が、最後の最後まで元気に生きているのだ。
考えてみればこのパン(チャパティ)は栽培から乾燥・製粉から焼くまで、電気もガスも全く使わない。太陽と森の恵み、そして人力だけである。それが、すこぶる美味しいということが、なんとも感動的ではないか。
ちなみに、僕も相方のYKも、小中学校時代は白パンの学校給食で育った。アトリエに来るまでは畑も経験がなく、これまで石臼には触ったこともない。
畑にはこの秋まいた麦が芽をだしてきた。
自分でやってみるまでは、小麦栽培は大変なのではないかと思っていが、実際やってみると意外に手間がかからない。秋播きで、夏刈りなので、雑草取りの手間がほとんど要らないからだ。
手間なのは脱穀と乾燥である。収穫時期が梅雨にかかってしまうため、刈り取りのタイミングと、天日で乾燥するにはこまめな管理(外へ干したり室内へ引っ込めたり)がいるのである。が、これは大規模農業ではなく、家族単位でやることで解決できる。
今年の種子は自家栽培のものを使ってみた。穀類と豆類は確実に種取りができる。種を買わなくてすむ。これもいい。
ようするに、美味しいパンを食べるための出費は、石臼だけのなのである。