森のこと(6)/石城 謙吉『森林と人間』を読む


まず林道を入れた

石城さんが新しい森林整備をするにあたって、まず始めたのは林道整備である。とくに都市林の区分は、手間ひまのかかる細やかな仕事になるはずなので、効率的にやるにはどうしても道が必要なのだ。

「そもそも、林道は人と森林をつなぐもっとも重要な媒体である。『山の肥やしは草鞋(わらじ)の足跡』という古い言葉がある。林を育てるのにいちばん大切なのは絶えず人が見回ることだ、という意味である。その林の見回りは、林道を歩くことで行なわれる。労働、散策、自然観察を問わず、人間は林道を歩くことによって初めて、人間の知恵と感性をもって森に接することが可能になる」(84ページ)

林道といっても、山を切り開いて土砂を蹴散らすようなものではなく、有効幅員3メートル、手すりやガードレール無し、砂敷きもせず、側溝もない、国有林の規定からすれば作業道かそれ以下にあたるというものだ。これだと道の上の樹冠はやがて閉塞して気象障害も出ない(四万十式作業道と同じですね♪)。苫小牧は平地林でもあり、土質が透水性の高い礫質火山岩であることも幸いして、安い値段で合計50kmの高密度の作業道ができた。都市林施業区では

「すべての樹木が5~60mの範囲でどれかの道路の守備範囲に収められ、ここでの作業はすべて『道端の仕事』になったわけである」。

手入れの周期

その林道整備の基本姿勢は「計画的に周期性をもつ」ということだ。林道によってちょうど8つの区画ができたので、1年にひと区画づつできる範囲の手入れするということにすると、8年周期で全体が見回われることになる。

その周期がいいかどうかは科学的な根拠はないが、面積と手持ちの労働力からして妥当であること、「人間の約束や誓いというものは10年くらいが限度、という私のささやかな経験からも、8年はまずまずの周期に思われた」という個人的な直感、そしてヨーロッパの都市林も5~10年回帰の施業が多かったこと、から決められた。

植林でなく択伐

さて、いよいよ核心となる森づくりの具体的な手法であるが、広葉樹2次林の森では植林はせず「択伐」が基本である。択伐とは、森の将来を考えて、残す木と伐る木を選択し、森林の内容を整えていくことである。ここまで読んできた自然保護&環境保全関係の方々はアレレ???と思われるかもしれないが、皆さんが大好きな「植林」はしないのだ。逆に、木を選択的に伐ることで森を整備していくのである。

「社会の常識では森をつくるというと木を植える、森を護るといえば木を伐らないことになっている。その社会常識から言えば、森づくりと言いながらがら、植えないで伐る、とはとんでもない話である。『森づくり=植林(人工林づくり)』というこの常識が日本に定着したのは明治以降のドイツ林学の影響かと思うのだが、日本列島は、実際は植えなくても木が生えるところなのだ。日本人が植林してきたのは、スギ、ヒノキなどの針葉樹の用材をつくる場合で、里山の大部分は雑木林は、自生の樹木の林だった」

「まして年間1,300ミリからの雨量があり、その上ササが少ない苫小牧地方では、林内に樹木のないところ(無立木地)ができても、すぐにさまざまな広葉樹が生えてくる。この植える必要のない森で、人間が伐り崩した広葉樹林の活性化を図るには、択伐はもっとも有効な手段と考えたのである」(96ページ)

人工林は外注に、非伐採地を設ける

そして人工林の部分は外注に出した。人工林は間伐や除伐が不可欠だが、広葉樹2次林の作業に比べて単純作業なので、優秀な作業員の力をこちらに取られるのは惜しい、という考えからだ。林に立ち木のまま間伐材を売るという方式で、業者が伐って出すわけだ。事業経費からは益がなかったが、タダで森林整備が進むからと割り切ったのである。

もうひとつ重要な手法として、作業区の中にあえて手を加えない場所を残し、人為の影響を強く嫌う動植物の避難所を設けた。そこは対照的に人為択伐との違いを観察できる場所でもある。広葉樹2次林の択伐施業はなかなか難しい(人工林施業のようなマニュアルが持てない)。感覚的な選木になることも多いので、非伐採地を設けて審判役になってもらおうというわけである。

択伐のやり方

具体的な択伐の内容だが、病害虫で弱った木や枯死木、それに暴れ木(極端に枝の多い木)を伐り、真っすぐで健全な木を残し、その木に樹冠(梢)の枝張りと地下の根張りの空間を与えて、森の成長力をその木に集めようという方法だ。

ただし選定には一定の基準を設けず、相対的に現場で判断する。基準を設けると、ある場所の木がすべて伐採木になったりしかねないからである。毎年、択伐する場所の過去の施業記録を洗い出し、その上で現場で議論して伐る伐らないを決めた、という。

また多様性を守るために残す木伐る木に林業的な価値観を入れないで、大木もできるだけ残す。また、伐採対象は「森林の上層を占める木を主体とし、林冠層以下の中・下層の樹木はできるだけ痛めない」ことにした。

伐採量と材質、水環境にも配慮

こうして8年×2サイクルの現場に立ち会った結果、森は見通しがよくなり、広葉樹林特有の爽やかさが出てきた。これから先は伐採率が小さくなり、林業的な効率は悪くなるのであるが、伐採量と材質は安定してくる。高密度路網があるおかげでその集材も可能になる。

以上が苫小牧演習林のあらましだが、本州での森づくりにもなかなか参考になるのではないだろうか。この本の画期的なところの一つは官学の先生(石城さんは現在、北大の名誉教授である)が「日本列島は、実際は植えなくても木が生えるところなのだ」と書いてくれたことである。補助金のために植林がしたい森林組合や、海外の植林美談をそっくり受け入れてしまう素人衆に惑わされてはいけない。

簡単に言えば、日本の森を再生させるには「上手に伐る」ということなのだ。広葉樹の場合、モザイク状に不伐地を残すのも大事だ。そして原生的な森にはいっさい手をつける必要はない。

これと平行して、石城さんたちは川のゴミを拾い、コンクリート護岸を撤去したり、下流の堰堤に魚道を作ってもらったり、石を組んで川に深みを作ったり、池をこしらえたりして、森と水辺の環境創造をしていった。それはもう、メチャクチャ楽しそうなのだ。マスがやって来て森の昆虫をエサにする。その魚をヤマセミが狙う。カモが居着いてしまう・・・。どうです? こんな森、本州の都市周りにもいっぱい作りませんか?


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