昨夜は奥志摩の釣宿民宿に泊まった。これも行き当たりばったり。宮川村を出て夕刻、ガソリンスタンドで見つけた雑誌で探し、電話をかけたのだ。朝食付きで4500円。朝の味噌汁は海藻たっぷりで美味しかった。
伊勢神宮に参拝する。朝の神宮はほんとうにすばらしい気に満ちている。内宮の階段前でウロの入った木を伐採していた。クレーン車を使った大掛かりなもの。その後、宮域林へ。
宮域林は神宮司庁に許可を受けて・・・と思っている人が多いと思うが、伊勢神宮の駐車場から始まって剣峠までの県道12号沿いがすなわち宮域林の敷地なのであって(途中に集落もある)、誰でも見ることができるのだ。
百聞は一見にしかず。まずは宮域林の森を見ていただこう。そして2002.5.17の取材日記の一部をここに再録する。
ここは遷宮の御用材を得るために大正時代からヒノキ人工林施業が行われているのだが、その最終目標は200年生で1ヘクタール当たり100本という密度管理となっている。もともとは、この山からすべて御用材を採っていた。しかし江戸中期には用材が底をつき、その後は奥伊勢の大杉谷などに頼っていたあと、木曽谷の天然ヒノキを利用するようになって現在に至る。
遷宮に必要な材積は約1万立米。これを全部宮域林で循環させていくためには、計算上は1000ヘクタールで十分なのだそうだが(現在の人工林施業区は宮域林全面積5500ヘクタールの約半分)、まだ材をここから利用するには至っていない。しかし次回(平成25年)からは少量補給を始めるということで、将来は完全自給を目指している。
今回は前営林部長の木村政生さんもやって来てくださった。木村さんはで宮域林を40年間見続け指導してきた林学博士であり『神宮御杣山の変遷に関する研究』(国書刊行会)の著作がある。山に入って説明を受けるが雨足が強く解説の声がよく聞き取れない。剣峠への移動のとき、僕とT君は木村さんの乗用車に同乗してお話をうかがうことにした。
新たな発見
宮域林の施業の特徴については前回の報告を参考していただくとして、木村先生のお話から今回新たに判明したことを書きとどめておきたい。
1)侵入した雑木はすべて自然に生えていたもの、生えてきたものであり。所々にケヤキやイチイガシなど広葉樹の大木も混じっていて、それがさらに森林の健全な印象をもたらしているが、ヒノキの人工林と広葉樹がこのような接触関係にあると、広葉樹も通直に育ちやすいという。これは主伐木を抜き切りして空間を開けた場合、中層の広葉樹がバックアップして根を張り土砂崩壊を防ぐとともに、その広葉樹も用材として使いやすい形に伸びていくという、混合林施業の新しい関係を示唆するものだ。ちなみに胸高直径60cm程度では、クスノキなどの広葉樹とヒノキの値段は、現在はほぼ同額だそうである。
2)宮域林では人工林施業地区でも尾根筋には幅30mの天然林の回廊を残し、川沿いでは両岸60mの天然林のベルトを残している。これは生物多様性の保護と、洪水調節や水質浄化に大きな役割を果たす。現在の川沿いには民家が数件あるのだが、神宮司庁としては極力これらを購入する努力をし、このベルトの中で現在人工林化している場所は天然林に戻す予定という。将来もこの森林構成を守っていきたいとのこと。
3)宮域林内には県道も含んだ道がつけられているが、そこには側溝の設置や法面へのコンクリートによる吹き付け塗装などは行われていない。これは神宮司庁側が県に強く働きかけた結果だそうだが、なぜこのようなことをしたかといえば、林内施業がやりやすいこともあるが、大事なのは、側溝を設置すれば水道(みずみち)が切断されてしまい(側溝に導かれた水は一カ所に集中して放流されることになる)渓畔林の緩衝効果が薄れてしまうからだ。では、この付帯構造物が無いおかげで林道の管理が大変かといえば、案外そうでもないのだそうだ。
4)宮域林の「神宮森林経営計画」は、大正時代に東大教授だった川瀬善太郎、林学者の本多静六氏らが参画し、大正12年から施業が開始された。とくに川瀬善太郎についてはドイツ林学に学んだ近代的集約林業の普及者との評価があるが、このような環境に配慮した優れた森林経営計画を立てていた経歴もあるということである。
森と川の関係
宮域林の最奥、剣峠は天気がよければ海が見える絶景の地だそうだが、雨足は衰えない。それでも参加者は散策したりウバメガシを眺めたりサンショウウオを発見したりして騒いでいるのであった。川の水かさは増しさらに濁っていたが、木村さんによればこの流域の特徴として透明になる回復のスピードが早く、3日ほどで元に戻るという。
御用材が欠乏した後の宮域林は、薪炭林製産の場となってさらに山が荒れた歴史がある。お伊勢参りのブームで全国から参拝客が集まったからだ。江戸時代から何度も氾濫を繰り返し、この人工林施業が始る大正時代には洪水の山と言われたことさえあり、下流の町が床上7尺(約2.1m)の水に浸ったこともあるという。このときの記録は日雨量が350mm。現在では日雨量500mmのときでさえ参道まで川の水が届いたことがない。人工林といえども、雑木が侵入した健全な混合林状態になれば、安定した治水・貯水能力を持っている見事な証明でもある。
そのほかマツ枯れに対する見解や、雑木林や奥山の管理手法に関しても、木村先生から多くの示唆的なお話をうかがった。雨の中、案内と丁寧な解説をして下さった金田部長と木村先生にお礼を言い、マイクロバスで宿に運んでもらう。
2004年の台風で大被害を受けた旧宮川村と、ほとんど被害のない宮域林はあまりにも鮮やかに際立っている。林相の違いは明らかだ。一方はほとんどが間伐遅れの人工林であり、一方は同じ人工林でも、強度間伐施業を施した針広混交林である。
また、宮域林における広葉樹の区域は、神宮司庁の金田営林部長によれば「植林はいっさいしていない」のであり、そこは江戸時代のお伊勢参りから禿げ山になるほど薪炭林として搾取されていた場所を、ただ放置して自然にでき上がった原生的な森(二次林なのだが)なのである。
旧宮川村の森が、もし薪炭林のまま放置されていたなら、今回のような被害はなかったのではないだろうか? 拡大造林時に薪炭林を伐り、スギ・ヒノキを植えてしまった。そして、時勢から手入れを放棄し、下草のない暗い森になってしまった。表土が流れ、災害に弱い森になってしまったのだ。
今回は、宮域林を林道の視点から観察してみたが、田辺林道と同じような施業を施してあることに改めて感じ入った。枝線の作業路は切土は直切りで、際ぎりぎりまで木を残してあって、田辺林道そっくりである。県道についても、舗装はされているものの、山側には側溝をつけていない。
微妙な窪みがあり、それがさりげなく沢に伝い、暗渠で道を横断していたり、自然に道を越流するようになっている。舗装路での自然親和型の最善の解答を導き出しているように思えた。
今日は僕の48歳の誕生日。天気に恵まれ、いい取材ができたことをYKと喜びあった。
再び高速に乗り、名古屋へ急ぐ。午後は「明治村」で建築を見る予定なのだ。