森のこと(6)/石城 謙吉『森林と人間』を読む


まず林道を入れた

石城さんが新しい森林整備をするにあたって、まず始めたのは林道整備である。とくに都市林の区分は、手間ひまのかかる細やかな仕事になるはずなので、効率的にやるにはどうしても道が必要なのだ。

「そもそも、林道は人と森林をつなぐもっとも重要な媒体である。『山の肥やしは草鞋(わらじ)の足跡』という古い言葉がある。林を育てるのにいちばん大切なのは絶えず人が見回ることだ、という意味である。その林の見回りは、林道を歩くことで行なわれる。労働、散策、自然観察を問わず、人間は林道を歩くことによって初めて、人間の知恵と感性をもって森に接することが可能になる」(84ページ)

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森のこと(5)/石城 謙吉『森林と人間』を読む


本当にそんな深い森があったのだろうか? あったのだ、戦後しばらくの間まで。

私もそのしっぽをかじったことがある。こちらに写真があるけれど、中学高校時代にチョウの採集に夢中になっていた時期があり、そこは標高800m程度の山だったが少し前まで深い樹海の森があり、それを伐採していた時期には、飯場に子どもたちの分校までできていた、という古老の話を聴いたことがあるのだ。その森には、伐り残されたカエデやミズナラ、ブナの大樹があったことを、いまでもよく覚えている。

大内正伸の花園山釣り紀行

ジャングルと海 ~2001タイ採集紀行~

この時代の、最後の深い森のことは、島根の田中幾太郎さんの文をここで読むことができる。
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森のこと(4)/石城 謙吉『森林と人間』を読む


8/30の続き。

ヨーロッパの森の歴史

苫小牧演習林の変革をみる前に、同書(『森林と人間』)に沿いながらもう少しヨーロッパの森と林学の歴史をみてみよう。

もともとヨーロッパは、豊かな森林に恵まれた地域だった。全土の95%が森林に覆われていたという。

やがてローマ帝国による道路や橋などのインフラ整備が進み、キリスト教勢力の浸透とともに農業開拓が進むようになった。人口増大とあいまって農業開拓が急テンポになり、13世紀には、ヨーロッパ西部ではほとんどの森林が消失(!)。18世紀には、95%もあった森林が20%程度になってしまった(!!)。

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森のこと(3)/石城 謙吉『森林と人間』を読む


今日は選挙で、家の前の県道も人の往来と話し声でざわついているのだった。私は期日前投票を済ませているので。近所のOさんからいただいたケヤキの枝を薪にさばく。

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