本当にそんな深い森があったのだろうか? あったのだ、戦後しばらくの間まで。
私もそのしっぽをかじったことがある。こちらに写真があるけれど、中学高校時代にチョウの採集に夢中になっていた時期があり、そこは標高800m程度の山だったが少し前まで深い樹海の森があり、それを伐採していた時期には、飯場に子どもたちの分校までできていた、という古老の話を聴いたことがあるのだ。その森には、伐り残されたカエデやミズナラ、ブナの大樹があったことを、いまでもよく覚えている。
この時代の、最後の深い森のことは、島根の田中幾太郎さんの文をここで読むことができる。
さて、石城さんは演習林の再構築として、まず全体のレイアウトを考えた。森は2,715ヘクタール。過去の取り扱いによって姿がばらばらだった。そこを4つの地区にゾーニングし、その施業方法を変えた。
1つ目の場所は敷地内を川が流れており、その水源でもある区域は人工林以外は手入れを行なわない区域とした。
2つ目の場所はこの地方の天然林であるエゾマツを育成する場所にした。
3つ目の場所は、貴重な原生林がわずかに残っているとこを、今後まったく手をいれない保護区にした。
4つ目の場所は、道路に近く、市民ともっとも触れ合える場所だが、人工林施業の失敗跡地だ。しかし、ここを最も重点的になるので、整備に最も手をかけた。
つづく。