林道取材、西へ4.(四万十町現地取材1)


松山から高速に乗り高知県へ入る。旧大正町役場で田辺さんと再会。支所の産業建設課Sさんにも同行していただきながら現地取材に入る。昼食をはさんで現場を3つ回る。途中、4WDのジープタイプの車を実際に運転させてもらった。3年前にお会いしたときより田辺さん自身が前進・進化したようだった。とくに植物に大変詳しくなられたようだ。

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田辺さんは林道造りと森の変化にかかわって9年。間伐の効果だけでなく、林床から甦る広葉樹と野草の豊富さに気付かれた。現在は花の咲く木や有用樹を選びながら、中層の広葉樹にまで手を入れ、最も豊かな針広混交林をつくりあげようとしている。たとえば高知のこのあたりでは、間伐された人工林にシイが多いが、そればかりが増えると林床が暗くなってしまう。

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だから、第2段階としてそのシイも上手に伐っていく。ヒノキ雪折れの支えになることを考慮して、シイの上部だけを切ることもある。シイを人工林の支えに活かしながら、照度を上げて、花の美しいツツジの類などを増やそうというのである。スミレやランの仲間もこうして甦る。このような細やかな手入れは、作業道なくしてはとうてい不可能だ。が、これができるなら、その山の自然環境の最高のモノを引き出すことができるのである。そして、日本の山はそれだけの潜在能力を持っているのである。

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「こんなに山が豊かになるとは、自分でも本当に驚いているんよ」
森林組合の施業で、優勢間伐でいい木を抜かれて放置されたままのヒノキ林を、林道開設と選び抜かれた間伐によって見事に再生させた森を前に、田辺さんは言った。

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相方のYKが、取材中に田辺さん語録をメモってくれたので、それを紹介しよう。

「森をつくる人がいない」

「つくった道をどう使う?」

「道づくりはオリジナルが考えられないとダメ」

「どんな森を創りたいのか?」

「道づくりは森づくりとセットになったもの」

「知識ではなく感覚でつくる」

「自信を持ったセールスマンになる」

「そのためには、その出来たモノを見せられるかどうか?」

「森は道がなければ生きて(活きて)いかない/だけど無理に金にする必用のない森」

「しかし、その森は道が入ったことで、お金になる基盤ができる(急ぐ必用はない、これからはいつでも金になる)」

「これからどうするか? 広葉樹施業」

「森づくりは、バランス良く・・・こういう仕事は楽しい」

「森をつくるための手段が『道』」

「こういう森をつくったことで、水が増えたのにはびっくり」

「スバル(富士重工)の車は山に強い」

「河川の上流域に、早くこんな森をつくりたい」

「路網があることであわてなくてよい」

「森の魅力って?」

「尾根は伐る、沢は残す」

「伐ることで変化する森を、子供たちとモニタリングしたい/半年後、1年目、2年目・・・/花の種類も」

「山を『使う』プロがいない、そんなプロが欲しい」

「道が入ったら、じわじわと手を入れていく」

「いまスタートしたら勝つ/1年でも早く始める」

田辺さんは林道のマニュアル化には慎重だった。土木工事は様々な要素を持っている。同じ土質でも、雨量や日当たりでその対処の仕方は変わる。また、林道造りだけが先走ってしまい、「何のために林道を造るのか」を忘れがちになる風潮を嘆いていた。「林道はあくまでも豊かな森を創るための道具である」というのが田辺さんの信念だ。その言葉が、僕らには嬉しかった。

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夕刻、泊まり先は窪川にある37番札所「岩本寺」の宿坊である。夕食は精進料理で地味なのかな?と思いきや、豪快な魚介類のオンパレードで、またしてもがんがん飲まされる。ここは四万十川の上流なのだが、案外海が近いのである。アサヒガニ、チャンバラガイという土佐の海の食材が鮮やかだった。

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YKが言った。

「田辺さんの話しを聞いているとワクワクするね。聞いていて楽しかった」

そういえば3年前の田辺さんは、高密度作業道を入れることで生まれる集材の経済効果を前面に語っていたと思う。が、今回は「春にはここにこんな花が咲くんだ」と、まるで子供のように目を輝かせていたのであった。


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