埼玉の講演の帰りに、「2011紀伊半島豪雨」での奈良県側の崩壊地を見てきたのでその写真をいくつかアップしておこう。
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三重県との県境で見た崩壊地。深く崩れるのは尾根のてっぺんから始まっている例が多い。
囲炉裏暖炉のある家 tortoise+lotus studio
イラストレーター・著作家、大内正伸のブログ
埼玉の講演の帰りに、「2011紀伊半島豪雨」での奈良県側の崩壊地を見てきたのでその写真をいくつかアップしておこう。
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三重県との県境で見た崩壊地。深く崩れるのは尾根のてっぺんから始まっている例が多い。
熊野古道の大崩壊地へ行ってきた。三越峠の先にある所で、区間でいえば中辺路ルートの湯川王子と発心門王子の間にある。案内のKさんは、世界遺産になるずっと前から熊野古道を縦横に歩かれている大ベテランである。
埼玉の講演の後、実家や東京での所用を済ませて西へ。三重の松坂から櫛田川沿いに奈良の吉野に入り、そこから五條市、十津川村を通って2011紀伊半島豪雨の奈良県側を観察し、熊野本宮へ入る。
奈良県側の崩壊地は大型で痛ましく、工事もかなり大掛かりに進められていた。
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吉野は吉野林業地として名を馳せている一大林業地だが、間伐の遅れた線香林ばかりで主要幹線沿いにいい山はほとんど見られない。それでも手前の三重県側の林道に、いい山を見つけた。
埼玉県飯能市にある駿河台大学から講演依頼があり、車で行ってきた。講演といっても授業の一環で90分の講義という仕立てである。広々としたすばらしい環境のキャンパスであった。
古い町並みが残っている広島県福山市の鞆の浦(とものうら)に行ってみたいと思っていた。後で知ったのだが、ジブリの宮崎駿が「崖の上のポニョ」の構想を得た所で家を借りて滞在していた時期もあったそうな。
確かに、これだけ多くの古建築が現役で息づいている場所はもう日本にはないかもしれない、そう思わされた。天然の良港で瀬戸内の海流がここでちょうど2分されることもあり、古くから潮待ち港として栄えた。町の中は江戸期からそのままの坂の多い幅の狭い道路が錯綜している。で、幹線道路から隔離された地区なので、そのまま保存された(取り残された)のである。