熊野古道の崩壊地と、谷の冷風


熊野古道の大崩壊地へ行ってきた。三越峠の先にある所で、区間でいえば中辺路ルートの湯川王子と発心門王子の間にある。案内のKさんは、世界遺産になるずっと前から熊野古道を縦横に歩かれている大ベテランである。

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下草の少ない密なスギ林(それでも最近伐り捨て間伐を施した跡がたくさんある)が続く。サワガニやカエルに出会いながら進んでいくと林内に石垣が見え、廃屋が現れた。

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山村の石垣の上にスギが植えられているのは全国的に珍しくない。過疎になり家を引っ越して町に下りるとき、田畑にスギを植えて行くのである。ここは棚田の跡にスギが植えられたものであろう。

熊野古道沿いにはこのような廃屋が少なくないという。熊野古道は昔は生活道路だったわけで、道にそって家々もたくさんあったのだが、近代国道ができてしまうと歩くだけの道沿いの生活が立ち行かなくなり、離村していった。

そうしてかつて棚田や畑だった石垣の上に、スギやヒノキが密植されている。それが放置され、荒廃して、自然度の低い暗い森を作っている。

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廃屋の森を抜けると崩壊地だった。

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当時の新聞記事の写真のまま、まだ工事が手つかずのままであった。

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もろい砂のような土質の上に、貧弱で浅い人工林の根が観察できる。

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崩壊地を横断する歩道の両側には杭とロープが張られていた。

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谷側は折れて流されたスギが折り重なっている。対岸には皆伐跡地にシカの食害が入って一部裸地化したり、表層崩壊を起こしているのが見える。私たちが密度調査をしているとシカの鳴き声が聞こえ、その姿を発見した。向こうからも私たちの姿がよく見えたに違いない。

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スギの平均胸高直径は25cm、半径4m円内本数は平均で10本。1ha当たりの胸高断面積合計98㎡であった。前日の七越山で見た優良ヒノキ林の2倍の過密度で、予想の通り荒廃極まった人工林である。

ところが、その崩壊地の先に道を進んでみると突き出た尾根の部分は地質が硬い岩で(といっても節理がボロボロと崩れるような種類のものだが)・・・

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その上にはシイなどの広葉樹に混じって実生のヒノキがけっこう大きく育っているのである。おそらく岩尾根なので植林を避けた場所なのであろう。つまり、天然ヒノキが広葉樹と混交状態で育っている。

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それにしても、熊野の森は暑かった。三越峠が標高で550mくらいでそれほど高くはないし、何しろ和歌山県だ。これほど山中で暑いと感じた経験が思い出せない(もっとも、Kさんの話では今年はとくに暑く、この2~3日は一番暑かったのではないか、とのこと)。

ところが、林道を歩いていると小さな沢沿いからものすごく涼しい風が流れてくる。われわれは、しばしその沢を前に4~5分程たたずんで、冷房風を楽しんでしまった。

そういえば「熊野の照葉樹の切り立った谷の底は冷涼で、それゆえ低標高で海の近くでも高標高の植物が育つ」と、後藤伸先生が書いていたのを思い出した。これが熊野の照葉樹林の不思議で魅力的な生態の一つなのだが、後藤先生に言わせればこれこそが日本の照葉樹林の特質であって、森の開発でそれが見えなくなっただけなのだという。

熊野にはそれがかろうじて残っていたのである。

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各王子のスタンプがなかなか可愛いのであった。

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