埼玉の講演の帰りに、「2011紀伊半島豪雨」での奈良県側の崩壊地を見てきたのでその写真をいくつかアップしておこう。
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三重県との県境で見た崩壊地。深く崩れるのは尾根のてっぺんから始まっている例が多い。
その下の木梶川の土砂堆積の様子。スギがなぎ倒され土石流の擦れで枯れているのと対照的に、中州に残る実生の広葉樹は根が深いので流されていない(赤矢印)。
十津川沿い入ると次々と崩壊地と工事現場が現れる。川は土砂に埋まり、すでに死んでいるのが解る。
コンクリートで下から固めているようだ。
これがどれほどのスケールか、手前の重機の大きさから推察できるだろう。
赤谷の大崩壊地は下流の沢沿いの土石流の痕跡が凄まじかった。
工事用のゲートがあり、この先は取材できなかった。
やや下流の国道沿い。
コンクリートの護岸が痛々しく、土砂の堆積した河原が砂漠のような光景を創り出している。
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この日は暑く天気がよかったせいもあって、山が非常に乾いている感じを受けた。皆さんも、これらの写真を見て水気のない、保水力のないパサパサの山、という印象を持つのではないだろうか。
しかし、このような山に豪雨が連続した場合、土は急激に水を含み、重くなる。土砂降りのとき、水はけのよい土壌ならば、沢筋に地中を通った雨水が吹き出るほど水が出てくる。そこがコンクリートで厚くせき止められたとき、水を含んだ巨大な土圧がかかる。
だから、渓畔林というのは非常に重要で、水の浄化の役割も果たすし、ここに湿地性の広葉樹の大きな樹木があることで、洪水のとき水が増えても土砂が流れない。それだけでなく大きな根の張りによって、自然の土留めの構造物にもなっている。水を浄化しつつ、水を通しながら、土留めも果たすという、むかしの石垣のような機能を持っているのだ(下図は中根先生の「水源の森講義」より)。
残念ながら、紀伊半島には山の尾根から沢の水際まで、一面にスギ・ヒノキが植えられている場所が多い。
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さて、今回の番外編は、中辺路・富田川での川エビ採りである。前回、中辺路のTさん宅に泊めていただいたとき、納屋の片隅に直径16~17cmの手網を見つけたのだ。訊いてみたら川エビを採る網で、自作ではなく市販のものだという。
エビは夜に川に入って採るものだというので、夕食後にお願いして体験させてもらうことにww。
懐中電灯で川底を照らすと目が光るので解る。
エビは後ずさりして逃げるので網を当てる方向がポイントなのだ。採ったああああああああああ!
もっと大きな手長エビも採れた。でも・・・・4人して探しても収穫は少ないのだった。むかしはもっとゴッソリ大量に採れたそうだ。
現在の富田川は下写真のような感じであるが、Tさんの子供の頃に比べて水量は3分の1に減っているという。富田川は紀伊半島でもダムがない川として有名で、むかしはアユもウナギもよく遡ってきた。ウナギなどはウケがはちきれるほど大量に採れたこともあったそうだ。
私たちがエビ採りしたすぐ下流に、2011豪雨で崩れた滝尻崩壊地があり、富田川にコンクリート護岸が作られようとしている。このカーブは昔からとてもいい鮎のポイントだったそうで、Tさんは「魚のすみかになるように現地のゴロタ石で自然護岸ができないか?」というような提案をしたそうだが、却下された。
私も前回この現場を見たとき「いい石が出てるなぁ、あれで石積みしたらいいのになぁ」と思ったものである。
現在の公共工事では石垣の空積みは許可されない。構造計算ができないからである(蛇籠工は許されている)。たまに自然石を使った護岸も見かけるが、ほとんどは裏と周囲をコンクリートで練り固めたもので、水はけも悪く、生物の棲み場がない。
こうして紀伊半島では、山林を改変(改悪)し、そのために崩れた斜面を、護岸をコンクリートで固めてしまうという工事が延々と続けられている。(紀伊半島だけではないが・・・