萩の道の駅から自転車で市内へ。

重伝建地区、島崎を巡る。京都と同じような完成度の町家がある。

囲炉裏暖炉のある家 tortoise+lotus studio
イラストレーター・著作家、大内正伸のブログ
翌朝は早朝の共同作業、農業用水の水路掃除。その後、4丁目の産土である二渡神社の例祭へ。私はくじで片付けの当番に当たったので、遅くでよかったのだが、ちょっと例祭も覗きたいと思い、早めに行ってみる。
プロポーションの奇麗な灯籠。

社殿は洋風小屋組み。かつて善美を尽した本殿、拝殿、神楽殿があったそうだが、明治四十四年に焼失。昭和二年、新たに建設されたという。祭神は猿田彦。天孫ニニギを道案内したという神様だ。

愛工房取材、出版打ち合わせの翌日は、鎌倉へ行ってきた。好きなんですよ、鎌倉。でも、すごい人だった。ちょうど桜の開花時期で。
3/10に境内のイチョウが倒れた話題は、テレビを持たない私もさすがに知ってはいた。その名所には多くの人が群がっていて、警備員が出ているほどだった。

大三島に渡ろうと、フェリーの港がある忠海の埠頭で夜明けを迎えた。しかし天気もパッとせず、始発の船まで時間があったので陸路で行くことにする。ふだんは走ることにない海岸線のローカルな道を行く。寮から徒歩や自転車で工場に通勤する人々に出会う。
昨日は夕刻の渋滞を避けるために広島近郊の抜け道を走ったのだが、細い道を数珠繋ぎにかなりのスピードで流す車に驚いてしまった。地方都市の車社会ぶりは凄いものがある。そしてこのあたりの主要幹線である2号線はトラックがすこぶる多い。
笠岡の2号線沿いにあるカフェレストランでモーニング。辺鄙な場所に結構大きな建物。厨房に調理人1名と、給仕の女性が3名。よほど安定した常連客がいなければこんな体勢はとれないだろうが、朝からお客は次々と入ってくる。

世界遺産になった石見銀山。いったい何がそこを世界遺産にさせたのか? それが知りたかった。
まず銀の産出が全世界の1/3量というスケール。そして近世でほぼ閉山したので、近代技術の波を受けておらず、昔の佇まいがそのまま残っていること。さらに環境に配慮して、山林を持続させながら山を守り続けたこと。この最後の「環境配慮」が、けっこう効いているらしい。
車でその山と銀山の坑道の入り口などを眺め、駐車場(無料)に止めて大森の町並みを歩く。そして世界遺産センターで銀山関係の資料を見て回る。
面白かったのは銀の精錬方法に「灰」が使われていたことだ。最初、鉛との合金をつくり、それを溶かして灰に転がすと、鉛は灰に吸着して銀の純度が高まる。しかし
「鉛には発がん性もあると考えられているので、坑道内の出水・高温多湿や鉱滓・煤塵などの劣悪な環境も相まって、当時の鉱夫は短命であったといわれる。大森地内に各宗派の寺院が多数あることや、古文書の研究からその平均寿命はおよそ30歳程度であり、家族構成はその多くが独身もしくは夫婦のみ、と伝えられている」(Wiki)
というような記述は、世界遺産センターの展示では、しっかりはしょられている(笑/足尾銅山と同じだ)。
大森の町はタイムスリップしたような佇まい。石州瓦のレンガ色、黄色い土壁、錆びた杉板。材が細く華奢な住宅が多いのは、大火で焼けた後、急ごしらえで造られたからという。

“石見銀山と大森集落(5.〜山口〜九州宗像)” の続きを読む