太田へ行き、金山の裾にある曹源寺の「さざえ堂」を観たり、大光院に立ち寄ったりしてきた。その後、JとEという超大型・郊外店をハシゴ。19日のブログに書いた「電気を使う郊外店」という視点からみれば、両店舗ともとてつもない電気食いである。日曜日ということで、広大な駐車場もびっしりと埋まっていてる。実際にみたことはないけど、アメリカのロサンジェルスのような光景といったらいいだろうか。
カテゴリー: アート&クラフト
館林のウィリアム・モリス
アトリエ敷地で奇妙な声で鳴いている鳥を調べたくて、前橋の県立図書館で鳴き声CD付きの図鑑を借りた。それとは別に、藤岡図書館で借りた『魚が泣いている』柳井繁美著(煥乎堂1996)を読んでいる。煥乎堂は前橋にある大きな本屋さんだが出版事業もやっていて、群馬の自然についての優れた本を出している。この本には、かつてダムのなかった頃の利根川が、いかに自然度の高い川で人々の暮らしに密着した川であったかが書かれている。
また利根川下流部、館林市や板倉町あたりには、タナゴと二枚貝が無数に存在する水域が数限りないほどあった、という。天然ウナギも大量に捕獲されていた。現在はタナゴはまったく見られず、ウナギもめったに取れない。
戦争とガラスの建築
午前中はブログの更新。ちょうど1年で規定の50MBを使い切ってしまった。新たにNo.2を立ち上げる(このブログのことです)。いま、ホームページも刷新しようと手を出し始めている。夕刻、Y先生の鬼石町での講演におつきあいする。戦争体験を話される講演を町議の方々が主催したのだった。

鎌倉の義経、ブリジストンの雪舟
朝、江ノ島に立ち寄ってから、義経ゆかりの寺「満福寺」を拝観する。義経は兵法の天才で、平家滅亡の決定打をうったわけなのだが、その行動力と権力に対する作法が兄頼朝の逆鱗に触れ、鎌倉入りを許されず、平泉に逃れ討たれる。ここ満福寺は、鎌倉入りを拒まれた義経が逗留して、頼朝へ理解を求める切々とした手紙を書いた場所だそうだ(寺が相模国腰越にあったので手紙は「腰越状」と呼ばれる)。この場所から義経の人生が暗転し、逃避行が始まったのだ。

山梨~神奈川へ
翌朝、再び現地でイベントの進行などの打ち合わせ。その後、役場で担当の課長さんや町長さんと会見。町の重鎮たちもまた、山の荒廃に憂え、頭を痛めている様子が伝わってくる。が、僕のような若輩が、頭ごなしに強度間伐をまくしたてたら彼らはついて来るまい。話し方とアプローチは明確に慎重にしなければ。
