二日前のテレビニュースで「高松市の法然寺(仏生山町)で五重塔の落慶法要が営まれた」との映像を見た。真新しい白木のヒノキ造りの五重塔だった。
法然寺は略縁起によれば、法然上人が75歳で四国に流されたときに住んでいた遺跡で、そこを高松藩祖の松平頼重が復興して代々の菩提寺になったという。今日、たまたま近くを通ったので行ってみることにした。
五重塔の高さは法然上人の800回忌にちなみ、800寸の24.24メートル。
小雨が降っていた。白木の色が美しく、金色の九輪がまばゆい。
奈良県吉野産の総檜(ひのき)造りで、1階部分の初重(しょじゅう)には釈迦の遺骨とされる仏舎利と頼重、法然上人の像が納められた。
法然寺を建立した頼重公にとって五重塔は悲願で約300年越しに実現したことになる。塔完成祝いの法要は当初3月に予定されていたが、東日本大震災の被災者に配慮して延期され、11月3日に行なわれた。約800人の提灯行列で完成を祝ったそうだ。
相輪の水煙には「葵の紋」が見える。頼重公は水戸光圀の実兄に当たる。高松松平家は、徳川御三家分家の中で唯一「丸に三葉葵」を家紋としていた。
さて、ここ仏生山法然寺といえば「讃岐の寝釈迦」と呼ばれるすばらしい仏像群がある。残念ながら撮影禁止なので、画像でお伝えすることができない。なので、2003年の7月、初めてここを訪れたときの日記をひもといてみる。
「これは見事な造型と空間だった。涅槃像がぽつんとあるのかと思っていたらとんでもない。ようするに法隆寺五重の塔の地下にある涅槃像とそのとりまきの群像彫刻をもっと壮大にまとめたようなものであった」
「周囲の回廊に歴代住職の像があり四天王像があり、中の空間には釈迦の死を嘆き悲しむ様々な像の表情動作があり、奥にはまた違う仏像があり空中にも雲に乗った像が吊り下げられ、最両翼には動物群像が、壁には樹の絵が描かれている」
「緻密で圧倒的な空間構成だったが、各像が乾漆像で女性的な表現であり、やや頭でっかちで手足の表情がかわいらしく、もともとの原色も適度に剥げて白地になり、尖ったやりすぎの感じはない。(讃岐にもこんなすばらしい遺産があるじゃないですか・・・)ひとり唸ってしまった」
拝観料350円で書院→展示室(古瓦や写経古文書など)→本堂(本尊阿弥陀如来)→祖師堂、と進んでいくと、最後に「三仏堂」と呼ばれるかなり大きな仏堂に導かれる。ここが、ああっと驚くような空間になっているのだ。雰囲気は京都の東寺講堂さながらの荘厳さを、誰しも感じることだろう。
ところが、この「三仏堂」の寝釈迦はほとんど宣伝されていないので、観光客はまったくいない。それがまたいいのかもしれない。高松に来たら、うどんと金比羅山、栗林公園だけでなく、ぜひここ仏生山にも足を伸ばすといいですよ(うどん屋さんもある)。
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夜は丸亀町壱番街ドームのクリスマスツリーの点灯式が行なわれた。
管弦楽で演奏されたのは「星に願いを(When You Wish Upon A Star) 」。
ところで、五重塔の落慶法要が営まれたその夜、私は落雷を受けて部屋に火花が散り火事になりそうな夢を見た。そして昨夜は、大きな客船に乗って大勢の人と海洋を旅をする夢を見た。どちらも生生しく、鮮明な夢であった。
五重塔に導かれ、寝釈迦に再会できたの嬉しかった。明日からはアーケードのクリスマスソングを嫌というほど聞くことになる。