土佐漆喰と石垣の町


高知市からどのルートを通って帰ろうか迷ったが、いつものひばり食堂+大歩危コースは厭きたので徳島周りだが昨日の運転がハードだったので海回りで行く。高知の海岸沿いは、スギ・ヒノキ人工林は極めて少ない。

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なぜか? 日照も雨も多いが、風が強く毎年台風が直撃するので、人工林はまともに成育しないのだ。そしてこの風土に強いウバメガシの炭焼きが大きな産業であった。

天然のクスノキが増えてくる。爽やかな薄緑色の花をつけているのがクスノキだ。

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途中、吉良川の伝統保存地区の町並を見に行く。

「土佐漆喰」と「水切り瓦」そして「いしぐろ(石垣塀)」の町である。

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いずれも暴風多雨から家を守る工夫から生まれた。漆喰の中でも、藩政時代から行われているこの「土佐漆喰」は、純度が高く白さが際立っているといわれる。石灰の焼成に天日塩を用いて独特の土中竃で焼く。そして、ふつう海藻の糊を加えるが、土佐漆喰では発酵させた稲藁を大量に使って塗るのである。

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白壁の途中に「水切り瓦」をつけて白壁を保護する。

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土佐漆喰は雨に強く堅牢だが、汚れのメンテは難しい。水切り瓦のアクセントは汚れを意匠に変えるいいアクセントにもなっている。

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腰壁は焼き杉だが、その風化具合と鉄ピンの錆具合が潮風の凄さを物語っている。

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水切り瓦のアップ。

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かなり年数を経たもの。苔が付いている。

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職人さんはまだ健在のようだ。これはかなり新しい。

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レンガを組み合わせたもの。財力と都との交易がなければ生まれない発想だ。

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細部もすばらしい。辺鄙な町にこんな建築がなぜ? ここは木材と備長炭で栄えた町であるという。トラックや鉄道の通る前の時代は廻船(かいせん)によって大都市に運ばれていたのだ。

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魚屋を見つけた。安いなあ。

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「すま」とは聞き慣れないがソウダガツオの一種、ヒラソウダのことで、調べてみると「都市部のスーパーなどではまったく見かけないが非常に味のいい魚で産地などで限定的に食べられている」・・・とのことだ。美味しそうだなぁ。

さて、もう一つの見所は石垣だ。台風の風当たりがより大きい丘地区では「いしぐろ」とよばれる石垣で家の周囲を覆うのである。先に茨城つくば市を襲った竜巻は風速50~70mといわれているが、昭和36年の第二室戸台風の瞬間最大風速は84.5mに達したという。それに耐えた家が残っている。

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割り石を粘土で組んであるのが面白い。

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基壇は亀甲組みをベースに、割石と、上部には平丸を横差しにしている。

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ちょっと荒々しく、長いいしぐろ。

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塀の中は素敵な庭園だった。

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角は井桁組みではなく谷積みでじわじわと押さえ、カーブを描く。

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室戸岬。今日は波が穏やかだった。

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半島の突端には24番札所 室戸山最御崎寺がある。歩き遍路の方々とたくさんすれ違う。

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岩も植物も独特である。

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この後、徳島の道の駅を目指す。

追記:『職人が語る「木の技」』安藤邦廣(建築資料研究社2002にこんな記述がある。「明治、大正時代に安芸で発達した水切り瓦、土佐漆喰が、昭和の高度成長時代にハウス園芸で儲けた周辺農家の納屋に復活した。明治期の土蔵は土壁だが、今は真壁の外側にラスモルタル下地をして土佐漆喰を塗る方法に変わっている」)P.133:蘇る土佐漆喰(語り/久保田騎志夫)


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