ネットで散見される熊野古道の写真である。
私のブログの読者ならお解りと思うが、これらは熊野の元々の植生ではなく、戦後植えられた人工林であり、間伐遅れの荒廃林である。誰が最初にやったのか知らないが、暗くて神秘的でいいと思ったのか、これが熊野古道のイメージとして定着している。
しかし世界遺産に登録されると、森のことなど何も知らない人たちが全国から押し寄せて歩いていく。
ネットから拾ってきた世界遺産のポスターなど。
上の写真は那智で平安時代の衣装を着て観光客が写真を撮るという趣向。ここは大きなスギやクスノキがあるが、これとて熊野本来の自然林の生態系とは言えない。本来ならイチイガシやタブノキがなければならないのだ。
荒廃人工林地を通る道が世界遺産。山は大雨の度に崩れ始め、コンクリート土木工事がどんどん進んでいる。これは私に言わせればもうホラーではないかと思うのだが・・・。
いや、私が言うまでもなく、熊野在住の一部の識者たちはずっと前から警鐘を鳴らし、批判もしてきたのである。
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昔から紀州木の国と言われますが、昔の人は山をつくるのにどこにどういう木を植えればいい、何を植えたらあかんということをよく考えて山をつくっていた。
しかし昭和30年以降の高度成長期に植林山がどんどんつくられました。(中略)
また熊野古道ですが、南紀熊野体験博の時だけ、古道の両側50mを自然林に戻すという話(コア・ゾーン)がありましたが、体験博の後は忘れられたように何もされていません。不在地主が多いので話が進まないのだとも伝え聞きます。しかし今熊野古道を歩くと本来の熊野古道の姿はどんどん失われていっています。
歩く道が乾燥し、もともとの木が消えて乾燥に強い木だけが残っていきます。山野草はもちろん無くなりました。古道沿いの植林山の手入れは全然されていません。私も小中学校の遠足に講師としてついていきますが、子ども言われて一番辛いのは「おっちゃん、この山は何も無いの」と言われることです。自然林であれば季節によって花も草も鳥も虫も動物もありますが、植林山では真っ暗で草の一本も生えていません。
(ブログ「熊野の森の再生のために/森づくり基金説明会での未回答質疑記録2007/7/4/竹中氏の発言 」→こちら)
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さて、国の林業政策は平成12年度から「伐り捨て間伐」ではなく「搬出間伐」を中心に補助金を出すという方向に転換した。その結果、熊野では森林組合がすぐに搬出間伐に対応できず、経営に打撃を与えているという。そこで正職員を減らすなどリストラで対応する組合も出てきた。
これはマズいと思ったのか、和歌山県は同じく12年度から1,500ha分にあたる1億5千万円の予算枠で、伐り捨て間伐のみでも補助金を出すようにした。喜ばしいことだが、この1.500haというのは和歌山の人工林面積のどのくらいの割合に当たるのだろうか?
調べてみると。和歌山県の人工林面積は221,125haだ。計算してみる。
1,500÷221,125×100=0.68%
0.68%
なんと1%にも満たないのだ!!!
面積1,500haは平方キロメートルに換算すると15km2で3.8km四方という大きさだ。これを地図に落としてみるとこんな感じになる。黄緑色が和歌山県全体で、濃い緑の四角が今回の「伐り捨て間伐補助分」の大きさである。
この面積は細切れになって申請されるのであり、書類審査を経て主に森林組合などが施業するわけだが、危険箇所から優先されて間伐されるとは限らないし、間伐されたとしても適正な強度間伐が為される保証はないのである。
暗澹たる気持ちになる。
しかし、この規模で森林組合が救えるとしたら、これまでの組合の間伐の規模も想像できようというものである。
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ちなみに、滝尻崩壊地の工事費は計「33億2千万円」だそうである。
事業費は、本復旧と仮設道路設置が約22億3千万円、土砂崩れ現場の対策が約5億9千万円、土砂の撤去が約5億円で計約33億2千万円に上る。(紀伊新報/2012年05月30日)