今年の熊野の森ネットワーク・いちいがしの会、総会での講演が熊野在住の作家、宇江敏勝氏だというので聴きに行ってきた。
宇江さんの本は新宿書房から全集が出され(こちら)、いまは自宅で畑をしながら小説を書いているそうで、精力的に活動中である。
内容は既に本で読んでいるものが多くかったが、やはり講演でしか聞けないこと、心に残る(ひっかかる)事柄がいくつかあり、質疑応答での内容も含め、それを書き留めておきたい。
(1)熊野の山々が拡大造林時に效範に人工林化したのは周知だが、宇江さんの住む中辺路ではむかし植林山は1.5~2割程度だった。それが現在では約8割が人工林化している。みんな金のために植えた。
(2)植林山は里からは見えない場所にあった。里から見える山の7合目までは森林ではなく草地・刈り場(採草地)で、その上が雑木林だった。刈り場にしたのは田畑の肥料と牛馬の飼料のため草が必要だったから。草原維持のため野焼きをしていたそうだ。
(3)だからワラビなど山菜が良く出た。また川にはウナギが、まるで養殖池のごとくうじゃうじゃいて、田んぼにも上がってきた。
(4)流れの炭やき職人は、ウバメガシは択伐することは少なく、皆伐していた。山持ちが自分で伐るときはもっと丁寧に択伐したであろうとのこと。
(5)植林しなくても自然に木は生えてくる。最初はカヤなどが生えてひどいことになるが、10年もすれば見られる山になる。尾根筋でも同じ。では、企業の植林活動は意味がないのでは?との質問に「地元にお金を落としてくれるので黙認している」とのこと(場内に笑いがもれた)。
(6)熊野古道の9割は人工林。
私がとくに印象的だったのは(2)の刈り場の広大さである。これは何も熊野の限ったことではなく、化学肥料のないむかしは草木を肥料源にしていたのだし、化石燃料を使う農工機がないので牛を耕作に使い飼料としての草刈り場が必要だった。地方によっては茅葺き屋根の原料である萱場も維持された。里山は雑木林というよりもむしろ草原が目立った。
ということは、「木を伐った跡に植林しないと崩れる」という説はマチガイということになろう。木が生えていない山は崩れやすいというなら7合目まで草原化したら頻繁に土砂崩壊を起こしていたはずだ。それではムラは維持できない。植生があれば、草が生えていれば崩れないのである(むかし西日本の花崗岩地帯に見られた「禿げ山」は、草も生えなくなったような無草木地帯だが、それとはちがう)。
放置人工林はそうではない。草が生えておらず表土を流しているのだ。木は立っているのだけれど、根は浅く、地表は砂漠なのだ。ところが「成熟した広葉樹林は下草が少ないのでやはり崩れる」と誤解している人がいる。草がなくても広葉樹林は厚い腐葉土をつくり、根の深さが人工林と比べ物にならない。ここが解っていないか、あるいは意図的に(林業擁護のために)曲解している。
長年にわたり熊野の現場で働いてきた宇江さんは「植えなくても木は自然に生え、森ができる」ときっぱりと言った。それは土壌の痩せている尾根筋でも同じである、と。これは拙著『「植えない」森づくり』を証明してくれる言葉だが、シカの食害はどのように感じておられるのだろうか? 自然の緑の再生力を凌駕するほどの食害が起きている場所がある。いま宇江さんの知らない新しい時代に突入している・・・。
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会場は和歌山県の田辺市に隣接する西牟婁郡の「上富田町文化会館」。昨年は「森の間伐と囲炉裏の暮らし」という題で私が講演を行なったのだが、その講義録を編集して電子書籍で刊行したところ、いちいがしの会のYさんがレーザープリン ターでB5の冊子にまとめてくれ、それを会場で販売してくれた。よくできていたので私も数冊いただいた。
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夜は田辺の居酒屋へ。グレの刺身や旬の海草などを。
追記:那智の滝の上流部の人工林崩壊地で、砂防堤と山腹工事計画が進行中だそうだ(工事用に林道整備もされる)。しかし崩壊地は地形的に安定しており、砂防ダムを造る必要はなく、少し人為的整備を行なえば植生は自然回復するはずだ。2014/1/8には県林務課と勝浦町に対し「那智山を世界遺産コアゾーンにする会(準備会)」が砂防ダム建設の中止を申し入れた。著名活動も準備中とのことである。