予想していた通り、台風の雲は紀伊半島に流れ込み激甚な被害を与えてしまった。被災者のご冥福をお祈りすると共に、早やかな救助と復旧作業を急いでほしい。twitterにも書いたが、紀伊半島は急峻で深い谷が連続する。ほんらい伐ってはいけない原生的な照葉樹を伐採し、スギ・ヒノキを植えてしまった場所が、ものすごくたくさんある。強度間伐で混交林化していかないと大変なことになると、私は10年前から言い続けてきた。
今回、被害の多かった奈良県と和歌山県の人工林率(全森林面積に対してスギ・ヒノキ人工林の占める割合)はどちらも61%。そして三重は62%(全国平均は41%である。これでも多すぎるのだが・・・)。これはどういうことかというと、植えられるところはほぼ人工林化してしまった、というくらい紀伊半島は人工林だらけなのだ。
長年紀伊半島の山をフィールドワークしていた後藤伸さん(2003年逝去、同年第13回南方熊楠特別賞受賞)に言わせれば、
「なにしろ、紀伊半島というのは大変な多雨地帯です。山そのものが雨に対応できるだけの、ほんとは山そのものの生態にそれだけの能力があったわけです。ただ、植林によってそれを完全に潰してしまって、やがてこれが、今言ったように何十年か先は山の崩壊という事態を招くことになるだろうと思っています。そのときまで我々はどうするのか。大変な問題ですよね」(2000~2003年の講義より)
と、この事態を早くから予測していたのである。
後藤伸さんの講演録『明日なき森~カメムシ先生が熊野で語る』(熊野の森ネットワークいちいがしの会編2008)。ここに熊野の森の真実が深く語られいる。
マスコミは「深層崩壊」などという概念を持ち出して、またしても森林の荒廃人工林を放置している間違いをスルーしている。また、記録的な大雨だから森林のせいではない、仕方がなかった、というような論調もあるようだ。本当にそうか? テレビや新聞では深層崩壊と呼ぶ崩れた断面の絵が映し出されたが、その始まりの亀裂をみると皆、根の浅い線香林ばかりである。もし、ここに樹齢300年以上の実生の広葉樹の巨大な根が刺さってネットワークを作っていたらどうであろうか。
広葉樹は深い根で斜面を支え、つなぎ止める。原生林は崩れにくく、保水力も極めて高いのは、この地中の大きな根が水を蓄えるからだ。一方で戦後植えられたスギ・ヒノキは根が浅く、とくに挿し木苗から育ったものは直根がない。保水力も土を捉える力もないうえに、間伐の遅れた荒廃林は林内に草木が消え、表土を流している。
それだけではない。後藤伸さんも指摘しているが、このような荒廃林は常に「乾燥している」のだ。根に保水力がない上に、林床に他の植物がない、いわゆる「緑の砂漠」状態だ。これはどういうことかというと、普段は「水け」のない軽い土だが、いったん大雨が降れば急に土が水を含んで重くなる、ということだ。大きな土圧がかかり、滑り面から大きく崩壊する危険が増えるということだ。私は四万十式作業道の取材で、地山というのはすべて硬いものではないことを知った。豆腐のように柔らかい、水を含みやすい土が、スギヒノキの浅い根の下に隠れていることがある。
では後藤さんの講演録から、昔の照葉樹林がどれほどすばらしいものだったか見てみよう。
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とくに「ブナ林がすばらしい」て盛んに今言うでしょ。さらに、「ブナはこんなに水を貯めて、こんなに吸う」て言いますね、それを見たら、「ああホントにブナ林のほうがええんかな」て思うんです。
何故ブナ林がええかて言うと、日本には原生林の状態のブナ林があるんですよ。原生林だから、ちゃんと水を蓄える力が大きいんです。しかし、常緑樹の原生林があったら、これはブナ林よりはるかに水を蓄える力ずっと大きいんです。ただ、残念ながら、そういう原生林はもう伐ってしもたからないんです。だから、那智の滝の端のほうにある森林とか、大塔の奥のほうにある森林がもし全部伐られないでちゃんと源流まで残ってたら、森の保水力なんてそら桁違いのもんになってるんです。(185ページ)
(一晩に)200ミリ300ミリの雨では、本当の照葉樹のまともな森林があったら何も怖いことはない。水害のもとにはならんのです。
そういうことを思ったら、やっぱりブナ林よりも照葉樹のほうがはるかに保水力が大きいです。ていうのは、もともと照葉樹林ていうのは、そういう雨の多いところでは発達した森林ですから、そういう大雨に耐えるようにできとるんです。(186ページ)
ひとつの台風で3000ミリも降ったことあるんです。3000ミリいうたら3メートルやで。どこかというと大台ケ原です。紀伊半島中央部の雨は全部紀ノ川と熊野川へ流れてくる。みな、和歌山県です。だから、和歌山県というのは大雨に関しては自慢できる。それをはたへ置いて、「これは記録的な大雨や」というレベルのもんではない。
もちろん家も浸かるし、いろいろあるんやで。大雨が洪水になることは間違いないけど、それが必ず災害につながるということではない。どんなに大量の水であっても、水だけではそんなに大きな力はないんですよ。水には流す力はあるけれども、壊す力はない。このへんだけしっかりと頭に入れておいてほしいんです。(256ページ)
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後藤さんに言わせると、しっかりした照葉樹があれば、大雨が降っても濁るのは最初だけで、あとは澄んでくるという。水量は増すけれども破壊力のある水流ではないという。これは伊勢神宮宮域林の木村先生も五十鈴川について同じことを言っていた。
次に土石流とその対策について。
次に、どんな仕組みで大雨が土石流を引き起こすかについてお話します。護摩壇山などの紀伊半島の高い山で大雨が降っても、普通の自然林だったら問題はない。崩れてもたかが知れています。
ところが、植林となると、根が浅くしか入ってないけど絡み合って板状になっているから普通の雨ではなかなか崩れんのです。水は地中に染み込まず、その表面をさっと流れてしまいます。大雨が降ったらすぐに川の水がどっと出て、すぐ水がなくなるのはそのためです。
しかし、これが1週間にわたって毎日50ミリとか100ミリの雨が降ってここにじわじわと染み込んでくると、しまいに根の下を水が流れるようになるんです。そうして、最後のとどめ一発の500ミリというような大雨が降ったとしたら、これがそのまま滑るんです。これがそのまま滑って、土砂で谷をペタッと止めてしまう。そしたら、その奥にダムができるんです。この水がやがて押してきて、この崩れてきた石と水を木材なんかをみんな押し出すわけです。これが土石流です。(256~7ページ)
いちばんの問題は、今言ったように根が土の中で板になる。平地に生えていればいいけれども、これが傾斜地で根の下を水が流れたらおしまいです。全部、山の斜面が滑りますから。
それじゃなぜ滑らないかというと、前に伐った広葉樹の株がわずかでも生きているからです。上は伐っているけど、ちゃんとカシの木は生きているから一応滑るのだけは止まっている。しかし、これもいつまでもはもたない。やがて、植えた木が太くなれば太くなるほど滑りやすくなる。つまり、大きな成木が滑るんです。山が裸になったから滑るのではないんです。
だから、滑らないように、まず植林の間に根が縦に深く入る広葉樹と混ぜることが大事です。カシやその仲間は伐ってもまた芽を出すように株が生きているんです。だから、隙間を開けて下にカシ類が生きていけるようにすれば山の崩壊は防げるんです。(219ペ―ジ)
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さて、ここで私が昨年取材で撮影した紀伊半島の人工林の写真をお見せしよう。
熊野本宮の近くである。近づいてみると。
どうやら道路工事で山を切ったらしい。おかげで線香林(細い線香が立つような姿からそう呼ばれる)の中が丸見えである。細い幹の上に青い葉の枝がついている。これは枝打ちしたわけではなく、間伐遅れで放置して光が入らないので下から枝が枯れていき、自然にこうなってしまったのである。5月下旬だというのに暗い林床の奥は草が生えておらず土が露出しているのが分かる。さらに近づいてみる。
この森を模式図で描くとこうなっている。
写真の森は工事で左側の木を取り去ったので、中の様子が見えるのだが、それがなければ、外見は緑の山にしか見えない。ここが、一般の人には解らないからくりの一つなのだ。1本を取り出してみると。
こうなると木が太れないし、風雪害で折れやすい。緑の葉っぱの量が少なすぎるのだ。このような樹形では、根っこも浅く小さいのは容易に想像つくだろう。
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どうしてこうなってしまうのだろうか? 最初、植林した時は全体に陽が当たるので草も生えてくる。とこが生長にしたがって葉が触れ合ってくるので間引いてやらないといけないのだ。この作業を「間伐」という。
間伐すると中の広葉樹も適度に育ち、土を守ってくれる。
人工林は植えっぱなしではいけないのだ。伐り捨ててでもきちんと間伐をしないと、いずれ山を破壊することになりかねない。伐り捨てた間伐材は、枝払いや玉伐りをして地面に並べたりすると、かえって大雨のときに滑って川を塞き止めることになる。だからそのまま散乱させておいたほうがよい。そのほうが作業効率がいいし、シカなどの獣害も防げる。これらも鋸谷さんと共に10年前から提唱していることだ。
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さて、後藤さんの話を続けよう。
結局、こういう山の生態系のつながりというのは「原因」と「結果」の間に20年とか30年とかいう長い時間がかかるわけです。さっき言いましたように、こと山の斜面の崩壊、いわゆる土石流をつくって大変な被害を及ぼすような原因と結果の間には60年とか80年の時間がかかってしまうのです。
だから、昭和35(1960)年以降の植林はすべきではなかったんです。ええところはすでに全部植えとったんです。昔は、植林によくないところは全部自然林で残しておったんです。山のてっぺんなんか全部自然林を残した。そしたら、下は何回伐ってもスギ・ヒノキができるんです。そういうのは、もう紀州では伝統として分かっていた。そういうことは、働く人も山の持ち主もみんな分かっていたんです。それをなにか強引に森林組合をつくり、公団造林というような団体をつくって強引に植林をした。そうした森林は、全部、植林するべきところではなかったんです。
今、植えてから50年くらいですね。ほんとは、電柱よりも太いスギやヒノキができてなければならんのです。ところが、いまだにこんな木でしかない。中には、尾根なんか腕ほどの木しかない。何年経っても垂木にしかならない。僕はこれを「万年垂木」と言うんですけれど・・・。だから、50年経ったスギが1本100円とかで、大根のほうがいい値がします。おまけに伐ったらその中に虫が入っていて柱にしたら折れてしまう・・・。(219~220ページ)
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そして後藤さんらはこのような荒廃した人工林を、ボランティアでも取り組むことのできる「巻き枯らし」で再生させようと運動を起したわけである。