それにしても、この真新しい山門はいかほどのお金がかかっているのだろうか? 材は総ケヤキだよね。このお寺にまつわる檀家や宗派の人々や関係者の財界人の寄付などによって、そしてお遍路さんからの収益もいくらか加味して、この門は建ったのだろう。
仁王様だって真新しいからどなたかの仏師が彫ったのだろう。いくらかかるんだろう。
珍しい茅葺き屋根の鐘楼。茅葺きっていま一番お金がかかる屋根素材だぞ。
浄財だから職人さんはヘタなものは作れないよね。
あの山門と鐘楼を見て中はどんなのが・・・と恐れおののいたのだが、案外小柄で普通だった。
というわけで、42番佛木寺です。
真新しい聖徳太子堂があった。小さいながら、実に優美な六角堂だった。たぶん新しい山門とセットで宮大工たちが腕をふるったのではないだろうか。
熟年のカップル遍路が、二人揃って読経していた。白装束ではなく私服、だけど遍路として一通りのルールは通します・・・という私たちと同じスタイル。
納経所でかち合うとき観察すると、小さな納経帳を二つ持っていた。
私たちは大きめの納経帳を1冊だけ(節約)w。
ここは、秋も美しいだろう。
なんともいい表情の石仏。
むかしの遍路は命がけで、死人がたびたび出た。病気の治癒の願掛けや、人生逃避行という意味合いも多かったのだ。だから石仏はその無縁仏の供養の意味で置かれてれていることもあり、安易な気持ちで撮影するのはやめたほうがいい。
でも、いいものは写したくなる。ほんとうはスケッチしたいのだが・・・。
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血税でくだらないコンクリート建造物を乱造するのはほんとうに止めてほしいと思うが、そのような罪を犯した者が、リタイアして潤沢な金でお遍路に来て、このような伝統建築の美しさに出会って、涙ホロホロに自分の人生を懺悔する・・・なんてことは。
ないんだろうな、きっとw。