花へんろと大師像


高松市立美術館の図書室へ行って空海の書物を調べていたら『NHK 国宝への旅〈9〉』という本に出会った。善通寺の特集が組まれており、国宝の「金銅錫杖頭」や「一字一仏法華経序品」がしっかり写ってる。

仏像も載っていたが、驚いたのは先日のブログで誉めていた「如意輪観音菩薩坐像」の鮮明な写真があったことで、しかもこの本では、重文の吉祥天立、地蔵菩薩立像と共に「伝・空海作」と記載されれていた。

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四国88箇所に空海作と伝わる仏像は多いのだが、それが真作なのかは判然としない。多くは伝説の域を出ないというのが本当の所だろう。国宝「一字一仏法華経序品」にしても文化庁としては空海作とはしていない。

さて、その本には「私の花へんろ」と題する早坂暁氏の文が載っており、氏が子供の頃に四国で体験したハンセン氏病や「いざり」のお遍路との交流が生々しく描かれている。

その文に見覚えがあった。私はこの本を過去にまちがいなく読んでいる! 1987年発行の本だから、私が東京在住(しかも西多摩に引っ越す前の)時代のことかもしれない。いや、きっとそうだ・・・。

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作家、早坂暁氏はそのむかしNHKドラマ『花へんろ』で遍路の四国を描いたが、先日これをレンタルビデオで探し出し、第一巻目(1985年版)を見たばかりであった。

氏は四国の遍路みちに面した愛媛県北条市の商家に生まれ育った。子供の頃(昭和10年代)、日に何十人というお遍路さんが店の前を通っていき、そのお遍路さんにお米を喜捨(きしゃ)するのが役目だったという。

川沿いの橋を正面に見るその旧家からは、お遍路さんが背を向けて次の札所へ橋を渡って行くのが見える。ところが時にまっすぐ北から店へめざしてやってくる遍路がいた。つまり逆打ちである。逆打ちというのは88箇所を逆順で廻ることで、弘法大師に出会えるといい、より困難な道のりなので強い「願掛け」の遍路が多いのである。

したがって、わが家をめざすように北から歩いてくる遍路たちは、みなすさまじい姿をしていた。

たとえば、座ったままの格好で、膝には古タイヤを巻つけ、両手を足がわりにして歩いてくる遍路がいる。

その足なえのお遍路さんは3年に1度の割合で家に姿をみせ、「私の記憶では、五度目からは永久にその姿をみていない」

と書く。

あるいはハンセン氏病の遍路については、次のように書かれている。

当時は、ハンセン氏病は、もっとも恐ろしい遺伝病のひとつとされていた。発病すると、白衣と杖を渡されて、「四国へ行け」と放逐されたのだという。

日本列島のあちこちから、そうした患者たちが瀬戸内海を渡った。四国の遍路みちには悲しいハンセン氏病遍路たちがあふれた。四国の人たちは、その人たちを受け入れたのである。

戦前はたくさんのハンセン氏病患者が札所の寺にたむろしており、とくに松山にある51番の石手寺には多かったという。そこは前に書いた(こちら)衛門三郎の伝説の地であり、道後の湯がある。当時は彼らにも専用の湯壷があった。

これが「裏四国」の姿の一つである。

『NHK 国宝への旅〈9〉』Amazonで調べてみたら極安で売っていたので迷わず購入♬ 嬉しかったので弘法大師像を描いてみました。

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