群馬ワークショップ〜東京国分寺お話会/3.法久再訪、友人たち、金鑚神社


法久と書いて「ほっく」と読む。2004年から2009年の5年間、yuiさんと100年古民家で山暮らしをした場所である。その後、2011年までやや里に降りて、同じく群馬の桐生市で2年暮らした。今回は12年ぶりの再訪となる。

車が横付けできないので石垣の坂を歩いて上がっていく。アプローチは草で覆われてしまっていたが、石垣と建物は健在だった。

玄関前の「かしぐね」(シラカシによる防風林)は頭を伐られてしまっていた。

古民家の前で、辰巳さんと。しかしデカイ家ですね。ここで我が名作『山で暮らす 愉しみと基本の技術』が生まれたのです。

再訪にあたってずっと気になっていたのは僕が積んだ石垣はどうなっているだろうか? ということである。石積みの前にピザ窯を作り小屋掛けをしておいたのだが、それは取り壊され新たな小屋が建てられていた。が、草に埋もれてはいたが石垣は健在だった。

さらに林道に車を進ませて、辰巳さんの法久の家を訪れた。ここも車を途中に置いて歩かねばならない。

大きい・・・。石垣の崩れが見られるが、家自体の状態は良い。同じく切妻総二階の養蚕古民家である。

炎の囲炉裏がある。

ここにはデニス・バンクスも来たことがあるという。

その広場で三又囲炉裏を作るワークショップをする。昨日、ななくさの庭の道から切り出した竹を使って、参加者それぞれが自分の三又を作る。そして火を焚いた。

古代米入りのご飯を炊く。辰巳さんは昨日の炊事から、短時間で細い薪で一升以上の米が短時間で美味しく完璧に炊けることに驚いている。

この家と敷地は以前何度かお会いしたことがあるAさんが住まわれていた。Aさんは私たちが群馬に越してきてまもなく前橋弁天村主催の祭りに誘ってくれた方で、それは2004年の12月20日前橋「大蓮寺」本堂で行われた「冬至祭~詩と法話と対話~」においてゲストの詩人ナナオ・サカキと蓮池住職の法話との間に、僕らSHIZUKUが歌と演奏で花を添えるというものだった。そのときのレポートはブログに記している。

ごぶさたしました♬/福岡正信、ナナオ・サカキ(2010.9.22)

囲炉裏を灯してレクチャーをひとしきり続けたあと、夜は辰巳さんの家で再び紙芝居と懇親会が行われた。思い出深い友人たちとの再会も嬉しかった。群馬の山暮らし初期から支援してくださったsanzokuameさん。

カナダ人の大工アダム、そしてTちゃん。法久での山暮らしを導いてくれた2人。

埼玉からつぶつぶの岩崎信子さんも駆けつけてくれた。

翌日、鬼石を後にする。辰巳さんが金鑚神社(かなさなじんじゃ)まで伴走してくれた。金鑚神社は鬼石に隣接する埼玉県神川町にある武蔵国二ノ宮である。今を遡る17年前、2006年に僕はこの神社境内のイラストマップの仕事をしたのであったが、最近印刷物にしたものができたというのでご住職にご挨拶し見せていただいた。

この神社にはヤマトタケル伝説がある。日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣(くさなぎのつるぎ/三種の神器のうちの1つ)と火鑽金(ひきりがね)のうち、火鑽金を御室山に納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったという。すなわち社殿の背後にある御室山(御室ヶ獄)が御神体であり本殿は設けられていない。

この2006年の製作からマップ全体をイラレでデーター入稿ができるようになり、それまでスミ版の手書文字をトンボ合わせしていたものを、版ズレを気にせず完璧なかたちで作ることができるようになった。このマップはその第一号なのである。

金鑚神社イラストマップ


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