新著の原稿書きでふうふう言っているところに『ドゥーパ!』連載の2回目がやってきたりしてさらにふうふう言っております。
先日は藤岡からsanzokuameさんが忍木菟屋にお越しになり、一年ぶりの来訪を喜び合いました。あの時はまだ囲炉裏がなかったもんねぇ。無事にゃん太郎を撮影して夕刻お帰りになると入れ違いに佐野のtsunekurosawaさんが友人を連れてご来訪。足尾植樹の帰りだったそう。
tsunekurosawaさんは私と同郷で、しかもご実家は私が幼少の頃よく預けられた母方の実家の近く。福岡正信『わら一本の革命』の共同英訳者の一人でご自分でも自然農を実践し、足尾には福岡さんの粘土団子の手法で長く植林活動もしている。またオカリナ奏者でもあり、自然農トーク&オカリナライブを各地で40回以上も演じられている。私たちも夏至の夜に佐野で行なわれた「キャンドルナイト」のイベントにゲストで参加させていただいた。
お連れの友人Aさんは私たちが群馬に越してきてまもなく前橋弁天村主催の「冬至祭」に誘ってくれた人で、偶然にもtsunekurosawaさんとAさんは古いお友達であったのだ。
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私たちが群馬にやってきた2004年、その年の12月20日「冬至祭~詩と法話と対話~」は前橋市弁天通りア-ケ-ド内にある「大蓮寺」本堂で行われた。ゲストに放浪詩人ナナオ・サカキが、法話の講師に住職の蓮池光洋氏が、そして間にSHIZUKUが歌と演奏で花を添えるというものだった。
私たちが呼ばれたのは、Aさんが同じ集落に拠点を持っていたこともあるが、私たちが過去にナナオと同じステージに立って演ったこともあったのだろう※。
当日ぶっつけの打ち合わせと本番。前夜、急遽練習に入った僕らSHIZUKUが蓮池和尚の講話の後に歌ったのは、オリジナルソング「この町で」他2曲。その後ナナオ・サカキのポエトリーリーディングにつないだ。寺の講堂の中、金色(こんじき)の仏像に一礼してステージに上がるという初めての体験であった。
そして蓮池和尚とナナオの対談があり、ラストにまた壇上に上がり「見上げてごらん夜の星を」を弾き語りした。観客は檀家の年輩の女性など満席状態。最後の曲は皆で歌えるように僕らが用意したもの。とても喜んでもらえたようだ。
しかし対談でのナナオの発言「人工林なんて全部伐ってしまえばいい」というのにはちょっとまいった。前に会ったとき『鋸谷式 新・間伐マニュアル』を渡しておいたのだが理解されていないようだった。
「ゲ-リ-・スナイダ-にはよくお会いになるのですか?」という私の質問に、ナナオは「ええ、もちろん。アメリカへ行ったときはいつも彼のところを拠点にしていますよ」と答えた。
親日家で環境詩人として評価の高いゲーリ-・スナイダ-がナナオと友好関係にあるのは現在も続いているようだった。それならなおのこと日本の人工林問題に感心と理解を示してほしいと思った・・・それが私の心に澱のように残った。
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さて、記憶は2000年の10月7日に飛ぶ。この日、東京お茶の水「湯島聖堂」で行われたポエトリーリーディング(詩の朗読と演奏)。会場は1000人を超えるという熱気の中、私はゲーリー・スナイダー、ナナオ・サカキや屋久島の詩人、山尾三省の朗読に初めて触れた。
湯島聖堂のこの日は、45年前サンフランシスコ「シックス・ギャラリー」で行われた念碑的な朗読会(ビートニクの出発点とも言われる)と同じ日付であったという。会場で仕掛人のひとり「山と溪谷社」の編集者Mさんが声をかけてくれた。そのときの熱気やゲーリーへのショートインタビューを、POETRY CALENDER TOKYOのアーカイブ(こちら)で読むことができる。
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福岡さんもナナオも山尾三省も亡くなった。ゲーリーは今年80歳になっているはずだ。元気だろうか?
忍木菟屋で火を囲んだ年下の友人、年上の友人。そして私たち。
ここでいま、私は日本の森の本を書いている。
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Stay Together
Learn the Flowers
Go Light
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離れずに
花々から学び
身は軽やかに
私はこのゲーリーの詩の一節がとても好きだ。
人生は続く。
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※2003年9月13日、東京国分寺・松明堂ギャラリー「星と花の降るところ 宇宙スケッチ ナナオサカキ展」にて、私たちはナナオのポエトリーリーディングに紙芝居『秋川谷の物語』でゲスト参加したのである。