群馬ワークショップ〜東京国分寺お話会/4.国分寺アグレアブル・ミュゼ


17日、金鑚神社を後にして、明日のお話会の会場、東京国分寺のギャラリーショップ「アグレアブル・ミュゼ」に向かう。途中、埼玉に移転した農文協の編集部にご挨拶に行く。

18日のお話会は映画『杜人』の監督、前田せつ子氏とのトークイベントで、主催アグレアブル・ミュゼのひさやさん・妙香さんとは小豆島の縄文小屋ワークショップでお会いした。そのまま意気投合してお二人は僕のアトリエへ。

アグレアブル・ミュゼは衣服や輸入雑貨などのショップだが、前田監督は近所にお住まいでありこのショップの古くからの常連だという。

2018年の春、前田さんと僕ら二人はほぼ同時に矢野智徳氏の「大地の再生」を追いかけ始めた。西日本豪雨の被災地で、屋久島で、福島の三春で、その他全国様々な現場で前田さんとは取材を共にした仲なのであるが、『「大地の再生」実践マニュアル』出版以来いまだ再会できずにいたのである。

カフェ・オープンは 12:00。トークは13:30からスタート。

そのあと、ピアノ弾き語り/ 新屋賀子・舞 / 中野妙香ミによるニライブ が行なわれた。

久しぶりの東京での講演ライブだった。僕は大学を卒業した19832年(22歳)から群馬の山暮らしに旅立つ2004年(45歳)までのに23年間、東京で暮らしていた。この間はいわばアーティスト・イラストレーターとしての修業時代であり、仕事のベクトルとしては1996年に森林ボランティアに出会い林業に開眼していく。

それまでのアウトドアライフから森林関係へと仕事がシフトしていき、東京の森林のある西多摩へ通い始めたのだ。アパートから西多摩へ途上に国分寺があった。実は国分寺は、僕が幼少の頃(5歳)、父の大怪我のため約1年間叔母に預けられ暮らしたことがある。また国分寺は、詩人の山尾三省らがヒッピームーブメント華やかりしき60〜70年代に「エメラルド色のそよ風族」というコミューンをつくり「ほら貝」を開店した場所でもある。

幼少の僕が国分寺に居たのは1964年、ちょうどそんな運動が胎動した頃だ。その三省とは山と溪谷社の雑誌『OUTDOOR』で同じ紙面を飾ったことがあり、拙著『囲炉裏と薪火暮らしの本』に「火を焚きなさい」を引用させていただき、最初の「大地の再生」の取材先の屋久島で、三省のアトリエにたどり着くという僥倖を得る(そして三省の本棚には僕の『囲炉裏と薪火暮らしの本』が入っていた!)。

東京時代の前半は西武新宿線の沿線に住んでおり、トーク会場の国分寺へ向かう環七の道すがら、親方のワゴンに乗って現場へ移送されるバイト時代や(絵だけでは食えなくて肉体労働のバイトを繰り返していた)、西多摩の山へ通った数々の日々が思い出された。あれから40年の時を経て、国分寺の地へ舞い降りて、僕は自身のコトタマを、稲妻のように遠く遠く解き放ったのである。長い旅路の果てに、まるでロンド(輪舞曲)のように回帰・回想していく不思議な時間であった。

僕には3人の娘たちが東京に居て、長女は看護師で忙しく、三女はいま海外に行っている。会えそうなのは阿佐ヶ谷でバイトをしている次女の瑞穂だけだった。会を終えアグレアブル・ミュゼを出て、車をぶつけそうになる細い路地を伝ってなんとかその店にたどり着き、わずか5分ほどの再会に僕らは抱擁し合い旧懐を温めた。

「長く生きれば人生は美しくなる」

という、以前はさっぱり理解できなかったフランク・ロイド・ライトの言葉を、この夜ほど噛みしめたことはない。

PS.

旅の終わりは浜松の行きつけの店(2回目だけどw)で特上の鰻。閉店ぎりぎりに滑り込みセーフだったのだ♬


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