徳島県の最後の札所、日和佐にある23番の薬王寺へ。
「お大師さんのころ、人里はこの日和佐まででしたやろか」
司馬遼太郎『空海の風景』の中でタクシーの運転手がつぶやいた言葉である。次の札所は土佐最初の霊場で室戸岬の突端。その間の80kmは歩けば3日がかり。まして道なき時代には・・・。
厄除け寺として全国的に有名で、22番平等寺の記事で書いた石段に1円玉を置いていく厄除の習わしは、こちらが本家だ。屋根に五柱の相輪が立つ瑜祇塔(ゆぎとう)が独特の景観をつくりだす。
ウミガメの産卵地として有名らしい。
駐車場に薬王寺温泉「醫王の湯」が見え、回り込んで山門。そこからは階段となる。
仁王様は真っ赤っか。町指定の文化財、「硬貨を投げないで」の注意書き。
本堂。本尊はもちろん薬師如来「おんころころせんだりまとうぎそわか」。
大師堂。
自分の歳の数だけ鐘を叩いて厄落とし。我らは時間がかかるのだったw。
還暦厄坂を上って瑜祇塔へ。
塔を亀が支えていた。
日和佐のシンボル立島(たつしま)が見える。
納経を済ませ、駐車場から立島の近くまで行ってみた。今日はとくに波が穏やかだった。室戸岬まで行くことにしよう。
さて、ここから室戸岬までの道のりは、修行時代の空海が
「室戸岬へゆきたいが」
と、阿波でおよその道をきいたときは、聞いただけで顔を青ざめさせた者もいたに相違ない。たれもが制止したはずである。室戸の山々は人の踏み入るべきところにあらず、棲むは鬼ばかりなるべし、などとこの若者の身を危ぶんでしつこくさとした者もいたかと思われる。
と『空海の風景』に描かれた道のりである。
「浜づたいで行くわけには参らないか」
と、空海は土地の者にきいたにちがいない。土地の者はあきれて、
「鳥ならでは、とても」
と、答えたであろう。海岸はほとんどが断崖か岩礁でたえず激浪がとどろき、とても人の通過をゆるさない。結局は山路になるが、谷のほとんどが東西に走っているために谷伝いもできず、尾根をえらんでゆくにも密林でおおわれているためにいちいち斧をふるって葛(かずら)を断ち、鎌をもって枝を払いつつゆかねばならず、一丁※をゆくにも一日以上もかかる日があるかもしれない。
※ 一丁(町)は約109m
というわけで、そんな修行時代の空海を想像しながら、国道ではなくあえて南阿波サンラインから断崖を眺めつつ進んでみる。
子鹿に出会う。
アブラギリの花。種子から油が採れる。
屋久島ではナラ枯れの跡地にアブラギリが繁茂し始めて問題になっているようだ。シカの影響で不嗜好種が増える一例でもあるらしい。