高松港9:00のフェリーで小豆島土庄港へ。以前「大地の再生+石積み」のワークショップをやった塩本さん(以下、塩ちゃん)の家に行き、前回の結果を検証。塩ちゃんは普段はご主人とパキスタンに在住しているのだが、年に数回帰国する。日本での自分の事務所は南三陸にあるのだが、拠点はご主人の実家であるここ小豆島である。
到着まで1時間。フェリーの中でわかめうどんを食べる。
到着後、さっそく前回の現場(裏山の元果樹園)へ行ってみた。あれから手を入れていないらしいので石積みは草に覆われていた。
草を刈って石垣を見せてみる。周囲の木々は元気に枝枝を上げて健全な成長を見せている。
上の段の畑地、夏でも草が生えない場所があったほどガチガチに硬かったが、いい感じの草にすべて覆われていた。
果樹の枝も上がって、それほど徒長したり暴れた感じはない。
上の石垣もきれいに見えている。
オーガーで掘った点穴。そして通路の斜面に設置した「抵抗柵」がかなり効いていると思う。地下茎で敷地に入り込んできた竹を伐採して片付け、食事に行く。
「UCHINKU」でワンプレートのデリカテッセン。素麺の倉庫を改装したセンスある店内、料理もなかなか美味しい。気分を出してノンアルビールも頼むことに(笑)。
今年になって石積みのワークショップをやったタクラマカンへ。ここも少し草に覆われていたのでちょっと刈り混んでから撮影。ハッとさせられたのは、前回枯れかけていた石垣近くのミカンの木が青々とした葉を吹き出して元気に再生していたことである。石垣再生はそれだけで周囲の植物に大きな影響を与えるのかもしれない。
オーナーの安田さんは再生した石垣の上部に畝を切ってすでにトマトなどの作物を育て始めていた。
その後、安田さんが「絵を展示しているギャラリー古民家が近所にできたから見に行かない?」と僕らを誘って案内してくれた。ここの女性オーナーは若い人たちに解放していろいろなイベントをやっていきたいそうだ。
画家の作品が展示されていた。ここで滞在しながら制作もしている。海が見える高台の昭和の古民家である。
僕は、前回のタクラマカンの石積みに参加してくれた東京からのアイターンのカップルの敷地が気になっていた。どうもその女性のほうが塩ちゃんの知り合いらしいということが判明し、連絡をとってみるがつながらない。
「じゃ、大内さんぜったい気に入るギャラリーカフェがあるからそこ行こう」と塩ちゃんの誘いで中山の「うすけはれ」へ。
昔、素麺工場だった建物を改装している。工場の屋号が「宇助」だったそうで、それに「ハレ=非日常」と「ケ=日常」を足して「うすけはれ」にしたそうな。
わお! ちょっとカオス状でもあるが、ミニマルなすっきり感も内包している空間。
古い引き出しや木箱などを壁に抽象画のようにレイアウトして、そこに器やアクセサリーなどが置かれている。服も扱っているようだ。
オーナーでデザイナーの上杉君がゲタばきでやってきて。2階のギャラリースペースを案内してくれた。
1階にカウンターがあって飲み物が注文できる。
僕がイラストレーターで著作家で、山暮らしや「大地の再生」の本などを書いている話したちたん、上杉くんの目がらんらんと輝き出し(笑)、車に戻って本を持ってきて見せると、さっそく『山で暮らす〜』を買ってくれた。
いろいろ僕のレパートリーの話をしているうちに、縄文小屋のところで「その縄文小屋って、本当に作れるんですか?」と上杉くんが言う。なんでも茅葺民家の葺き替えをやろうとカヤをストックしていたことがあったそうで、その計画は頓挫し、大量のカヤだけが余っているというのだ。
建てようと思えばこの上に敷地はある。秋ぐらいにワークショップで縄文小屋やろう!・・・と瞬殺でキマってしまったのだった(笑)。
その後、塩ちゃんの知り合いらしいという秋葉ヨリエさんに連絡が取れ、家まで行ってみることにした。有名な中山の農村歌舞伎の奥の斜面に家がある。
ヨリエさんは現代人形劇の芸術監督や女優を海外でやってきて、今はこの土地と古民家を購入し、改装しながら「369ミロクの森サンクチュアリ」という滞在型リトリートサロンを立ち上げたばかり。塩ちゃんとは東北大震災の復興のとき人形劇で参加して知り合ったらしいが、塩ちゃんもヨリエさんと小豆島で再会したことに驚いている。
敷地は思ったほど悪くない。石の庭が立派なのは元の所有者のお爺さんが石屋さんだったとのこと。ぐるっと敷地を見て回ったら、家の裏に大きな岩があり、その周囲に竹や木々が生え、トタンなどが散乱したままになっている。
これはどう見ても「磐座(いわくら)」だろう。しかも石質が「さざれ石」ときている。「君はたぶんこの磐座に呼ばれたんだよ、掃除してすっきり岩を出してあげたほうが良いよ」とアドバイス。ヨリエさんは音響振動療法「イーマ・サウンドセラピー」ができるそうなので、次回の小豆島行きのときやってもらうことになった。
帰りのフェリーで美しい日没が見れた。