西日本を縦断した今回の台風11号。大雨特別警報が出された三重県の現地で実際の豪雨を体験し、伊勢神宮を流れる五十鈴川の様子を撮影してきた。
五十鈴川は昔から伊勢神宮の手洗い場となっており、宇治橋の下を流れ、「おかげ横町」に沿って市内を通り、伊勢湾へと流れ下っていく。8/10この日の午前中は伊勢市内はとんでもない暴風雨で、車で移動するにも横殴りのバケツをひっくり返したような雨でフロントガラスの先が見えず、一時は恐怖を感じたほどであった。
が、雨が小止みになった午後(写真は14:00)おかげ横町へ行ってみると、五十鈴に濁りはあるものの、水位はさほどではないし、濁りもやや緑色を帯びたうす茶色。
近隣の他の河川ではもっと茶褐色になり、河川敷への浸水度合いも激しいが、五十鈴川ではもう散歩をしているご老人もいるくらいに回復している。というか、河川敷の草が寝ていないことから、ほぼこの水量をキープしていた模様。
対岸からおかげ横町を望む。
この五十鈴川は伊勢神宮の宮域林から流れ出る川だ。宮域林は神宮司庁営林部が管理する山林で、面積は約5600ha。このうちスギ・ヒノキの人工林が約2900haと全面積の半分以上を占めている。
残りは天然林だが、この天然林のうち内宮・外宮境内の神域(約150ha)を除けば、昔は薪炭林としてかなり伐られており、裸山に近い状態だったといわれている。というのも江戸時代には「お伊勢参り」が大流行し、宿泊客のために大量の薪が必要だったからだ。
そのため江戸末期から明治にかけてたびたび水害を繰り返し、宇治橋は何度も流され、大正7年の大洪水では宮域林で200カ所近い崩壊があり、伊勢市内の床上浸水が1400戸あったという。当時の五十鈴川は暴れ川だったのである。
上図は拙著『「植えない」森づくり』に掲載した宮域林の位置図である。五十鈴川は内宮の手前で島路川と合流する。神宮司庁では合流点から上流部の本流を「神路川」と呼ぶ。両川の集水域がほぼ宮域林になっている。
そもそも宮域林は、式年遷宮のための天然ヒノキを伐り出す山(御杣山/みそまやま)であった。鎌倉時代にヒノキが底をついた後、薪炭林として裸山に近い状態に荒れた。そこで大正時代に林学者たちが造林計画を立て、将来この山で再び御用材が採れるよう植林を始めた。
目標は胸高直径60cmのヒノキを中心とした針広葉混交林である。また、人工林の区域であっても、尾根と谷には自然林のベルトを残す、川沿いを通る県道にはあえて側溝をつけず、水みちを切断することなく渓畔林の緩衝効果を活かす、などの細やかな配慮がなされている。
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驚いたのは、翌8/11日に訪れてみるとすでに水が澄んでいるではないか。宇治橋に行ってみると、参拝客でごった返している。昨日は雨合羽を着たまばらな観光客だけだったのに、それが嘘のような光景だ。
橋の手間に杭のようなものが立っているが、これは「木除杭(きよけぐい)」と呼ばれ、増水時の流木などから橋脚を守るためにつくられている。
その木除杭に流れてきた枝が絡んでいるのを、作業員が回収していた。
今回の台風における五十鈴川に森林の力をまざまざと感じた。宮域林における人工林は強度間伐の混交林、自然林の区域は植林はいっさいしておらず、ただ放置して自然にでき上がった森なのである。「流域の特徴として透明になる回復のスピードが早く、3日ほどで元に戻る」という旧営林部長の木村さんの言葉は本当だったのだ。
大変綺麗な川で 神殿に流れる川に、
ふさわしい川だと思いました
今後もこの綺麗な川を 末代まで守って下さい