多度津で森畑地や古民家の再生に関わり始めたの話は何度か書いたが、
そのベースとなるのは「大地の再生」なので、どうせなら多度津で映画『杜人』上映会と僕のお話会をやろうということになった。11/26のこのお話会で、いま進行中のプロジェクトのお披露目も兼ねようということである。
ところで森のオーナーほかコアメンバーの方々が僕のキャラであるタマリンを気に入ってしまった。森の活動の名前に使おうということになったのである。そこで多度津用にタマリンのイラストを起こし、手書き文字のロゴを作ることになった。
コアメンバーのひとり大分大学准教授のYさんが流石に手慣れていて、あっという間にチラシをデザインしてくれたのであった(こちら)。まだ準備段階なので映画会・お話会の主催は「たどつタマリンの森 準備委員会」という名称だが、その翌日は2日かけて森の整備などを行う予定である。
ここでいきなりタマリンといっても初めての人は分からないと思うのでこのキャラクター誕生の東京在住時のエピソードをプロフィールから抜粋しておきます。
(中略)デザイン会社に森林ボランティアをされている方がいて、当時から何度も誘われていた。が、かつて昆虫少年であり、渓流釣りや登山を通じて人工林を嫌悪していた私は、スギ・ヒノキの間伐やら枝打ちというのは気がすすまなかった。そのときは古民家に泊まり込んで「植林」をすると聞いたので、重い腰を上げたのだった。場所は東京の青梅、1996年のことである。
雪害で裸地同然になった急斜面に様々な木を植える、その光景が衝撃的だった。地下足袋を履いてクワを振るう女子大生を見て、ハンマーで頭を殴られた気がした。新たな時代が、新たな鉱脈がここにある、と思った。
それからというもの、定期的に西多摩の山に通うようになり、自前でナタ、ノコ、カマを揃えて様々なボランティアの会を行き来し、人工林の手入れを手伝いながら林業を学んでいった。また、地場産の家づくりの会にも参加し、全国の林業地や林業施設の見学旅をして見聞を広めた。
そんな噂を聞きつけたのか、娘の小学校で父兄が授業をする機会があり、私は森の話をした。そのとき生まれたのがムササビのキャラクターだった
西多摩の林業地で生まれたから名前はタマ・リンだ。そのキャラクターで『むささびタマリンの森林づくり入門』というイラストの小冊子を作った。
紙芝居『むささびタマリン森のおはなし』のラフ案を作ったのは1998年頃。「東京の木で家を造る会」のAさんから、娘の学校で読み聞かせの時間に紙芝居をやりたいとの話があり、2000年に入って急遽、原画を仕上げた。それが新聞記事になって広く知れ渡り、自ら演じる出張紙芝居までやる羽目に・・・。
ここまできたらと開きなおり、テーマソングを作詞作曲し、ギターで弾き語りまでしている(笑)。そして九州の木工家の友人がヒノキのすばらしい紙芝居フレームを作ってくれ『むささびタマリン森のおはなし』は画竜点睛をみた。
紙芝居の内容はnoteに公開しています。
こちらもご覧ください。タマリンは東京の森で生まれたキャラですが、全国に普遍性を持っていると思うのです。
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