縄文小屋づくりワークショップ@大阪・車作/2日目


縄文小屋2日目。墨歌の朝。この大カマドで酒井さんは味噌を仕込んだりする。今朝はここで野草入りの粥を炊いてもらった。今日の縄文小屋には最後に囲炉裏をつくりたいので灰が欲しかったのだが、いくらでもあるというので少し貰っていくことにした。

これがそのお粥。梅干しやレンコンとニンジンの炒め物、漬物など副菜もたくさん。ヨシゾー邸の石庭2日間でけっこう体力を消耗していたのだが、酒井さんの食事は身体に負担がかからないので、よく噛んで食べるとみるみる快復していく感じがする。

今日は新たな参加者が入れ替わるのだが、また自己紹介はとばしてすぐに仕事にかかる。僕の指示で竹のフレームをどんどん継ぎ足していく。昨日の4本の竹と棟木で形は決まっているので、あとは補助の棟木になる。

焼き杭で竹の基部を止め、棟木と梁に立てかけるようにして周囲を決めていく。

敷地に合わせてやや掘っ立て柱の位置は歪んだ四角(上からみるとわずかな台形)なので、竹のフレームもそれに合わせて微調整しなければならない。が、立体とは面白いもので、うまくやれば部分は不揃いなのに美しく見えるように造ることができる。これは図面を描いてしまったら逆にうまくいかないし、かえって時間がかかってしまう。

今回、九州宮崎から大地の再生メンバーで茅葺経験のある洋平くんが参加してくれ、縄の結び方や屋根材の葺き方を丁寧に指導してくれた。

その手腕や知識もさることながら、僕が印象的だったのは彼の「この縄が案外強い上に、中から見るとキレイなんですよね」の一言だった。

確かに、結び目は外側は屋根材で隠れてしまうけれど、内側にはフレームの交点として縄がデザイン的ないいアクセントになって見える。これがぜんぶ番線だったら建築的な美しさが削がれるだろう。

誰ともなしに言い出した「上棟式やりましょうよ!」という掛け声で、酒井さんが扇と松の枝を持って棟に立つ。

本式にお菓子などをバラまくという驚きの演出。さらに「何か歌って〜!」という掛け声で、なんと酒井さんが美声を披露するという思ってもみなかった展開に(笑)

その後、洋平くんたちが指導してくれている間、僕は持参してきた自在カギをぶら下げ囲炉裏の位置に石のサークルを仮置きしてみた。

すると女性たちが完成後を想像しながら座り始めるのだった。

ここでお昼。資材置き場に戻り、自己紹介を交えて。今日も美しい弁当になごむ。。。

フタに献立書きが付いてくる。

午後からは時間との戦いになる。屋根材は薄くてもいいから全体の形だけは作って終わらせたい。

竹で縫い針をつくる。先の穴に麻縄を通し、屋根材に突き刺して内部の横材に回し掛けるための道具である。

棟木のすぐ下にも両側に横材を架けていく。しっかりした竹で横材を架けていくとそれがそのまま足場になる。

皆がだんだん慣れてきてスピードが上がってくる。結作業の真骨頂だ。

棟札がわりに松の枝が頂点に。

14時を回ったところで屋根材の葺きを開始。雨落ちをよくするため、下から葺くのだが、一番下だけ元を下にする。

ササを束ねる人、それを結わえる人、とリレー作業でぐるりと回していく。

入り口は別の材で可動式に取り付ける。

2段目を葺くための足場をつくる。

2段目から元を上にする。足場の作業なのでけっこう難しい。

三角の煙抜きの部分。入母屋の原型とも言うべきか、ここを洋平くんが押さえ竹で締まりを作ってくれる。

3段目。完成が見えてくる。

入り口と窓は滋賀から参加してくれた建築家の大野くんにお願いした。

小さな出窓風にしつらえてくれた。ここから下流で行われているダムの建設現場が見える。つまり令和の縄文小屋から自然破壊の現場を観察する・・・という風刺作品にもなっている(笑)。

3段目の最後。そして入口のドアにも屋根材が。立てかけるのはY字の枝を2本掘っ立てで設置。雰囲気抜群の縄文ファサードだ。

3段目の棟木の部分を割竹で押さえをかけ、なんとか全体像は完成。まだまだ葺きは薄く、頂部の雨避けの被せも必要なのだが、とりあえず今回はこれにて終了ということで。時間は17:00ジャスト。

その間に囲炉裏を準備しておいた。石の炉の中は浅く穴を掘り、中央に焚きつけの枝を置いて、石の内側に持参した木灰を敷いて点火。

「ん〜、凄い・・・なんともいい感じ! 「2日でこれができななんて信じられない・・・」いやホント、皆さんよく頑張ってくれた。実はやっちゃんの監督で並行して沢の掃除も行われていたのである。かなり充実した、仕事の進んだ学びでもあっただろう。

両側の開口部から煙がいい感じに抜けていく。そして、入り口の開口部からは沢の対岸の新緑が切り取ったピクチャーウィンドウのように見えるのだった。

火を焚きながら感想会をし、ちょうど沸き上がったヤカンの薬草茶を皆で飲んだ。僕が囲炉裏でもうひとつ皆に見せたかったのは枯れ木を燃やしたときの炎の穏やかさ、優しさ、火保ちである。道具置き場の辺りに草に半ば埋もれていた枯れ木があった。それを運び込んで日中に乾かしておいた。焚きつけの小枝の勢いが増したところでそれをくべた。

このような枯れ枝の炎の性質について書いた人・語った人はまだ誰もいない、が、これはきわめて重要なことなのだ。枯れ枝はとろとろと優しく燃えながら、意外にも長保ちするのである。薪ストーブに入れたら瞬殺で灰になってしまうスカスカの枯れ枝が、囲炉裏では十分な戦力になるだけでなく、優しさと癒しを与えてくれる。

1万3千年前の縄文の昔から人はこの炎を見続けてきた。その頃から日本人は「生きた木を伐り倒して割って乾かして薪にする」なんてことはしなかっただろう。枯れ枝と枯れ木で十分生活できたのであり、それがきわめて合理的だったのだ。

晩は久々のビールで乾杯してもう一夜、酒井ディナーをご馳走に。

スタッフの皆さん、参加者の皆さん、ご苦労様、ありがとうございました。そして酒井さん、よい機会に感謝です。次回、縄文小屋の続きと囲炉裏の使い方講座やりたいですね! またご参加くださいませ❣️


「縄文小屋づくりワークショップ@大阪・車作/2日目」への1件のフィードバック

  1. 縄文式竪穴住居ですか、生活の原点ですね。
    今日は国崎ゆめほたるで、山道作りを教わりました。自分の手でものを作るのは楽しいです。

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