滋賀・永源寺〜大阪・車作


ヨシゾー邸の2日間を終えて、明日から2日間は大阪の茨木で縄文小屋作りのワークショップの講師をやる。今日はその準備と移動日。天気がめちゃいいので、午前中に永源寺に参拝することにした。何度もここを往復しながらまだ寺に入ったことがなかったのだ。

永源寺は臨済宗の禅寺で、かつて2,000人もの修行僧がいたほどの規模だったという。

総欅の山門。立派!

本堂は茅葺。中の聖観音像は秘仏。「世継ぎ観音」とも呼ばれ、祈願すると子供や跡継ぎに恵まれるとか。

エイゲンジザクラという品種、ここ永源寺の原木から発祥。境内はサクラよりもモミジが大変多い。秋にはさぞかし美しいことだろう。

前々日、石庭の手伝いに頑張ってくれたヒトシ君の家が近いので寄ってみた。沢まで林道をつけたいというのでその視察を兼ねて。

家の下に人工林があり降りていくと愛知川の支流、御池川が流れている。前にキャンプした黄和田も近い。

帰りにホームセンターで明日からの資材を購入し、やっちゃん宅へ。トラックへ荷物を積み込んでいる間、僕は台所を借りて豆のベジカレーを作った(材料はアトリエから持参してきた)。

荷造りに時間がかかりそうなので僕が先に単独で出発。明るいうちに縄文小屋の建設地をもういちど確認しておきたい。

酒井さんの拠点「墨歌」は大坂府の茨木、車作(くるまづくり)という集落にある。急傾斜に張り付くような、風情のある集落なのだが、大阪というところは開発がせめぎ合っていて、いい自然の中に新東名やダム開発などの大工事が錯綜している。

現地ではサニーさんたちが風のトイレを作っている最中だった。小屋の屋根を葺くネザサも事前に刈ってまとめてあり、丸太なども確認。

ここが予定地。小屋を建てるにはやや狭いので、巻尺で幅を計測する。

今回も正確な図面は描いていない。イレギュラーな空間なので、現場合わせで決めていく。とはいっても、背面の石垣ぎわは風を通したいので、ぎりぎりの建築幅を考えながら、掘っ立て柱の高さを割り出してみる。今回のスケッチはイラレで描いたコレだけ。

沢に降りてみた。上流に廃液を流すような施設はないはずなのだが、濁ってよどんだ泥アクが溜まっていた。

ここは小沢ながら開けていて日当たりが良く、かつてはかなり上流まで棚田があったらしい。全盛期にはこまめに管理され美しい流れがあったはずである。手入れをすることで里山は元自然をはるかに超えたポテンシャル(生産力や美しさ)を発揮する。「大地の再生」はその一手法といえるが、いったん放置すればみるみるうちに荒廃し、原自然に戻ろうとし、ときに崩壊をもたらす。

原生林や高山帯などが人の手を入れていないのに美しさが保たれているのは、周囲の空気通しが良いため種の棲み分けの均衡が保たれていることもあるが、厳しい風雨(雪)によって研ぎ澄まされ、それが「自然の手入れ」になっているからだ。

「墨歌」に戻る前に高槻市の「美人湯祥風苑」という温泉に入りにいく。近所に摂津峡という名勝があるのだが僕は大阪の地理がほとんど頭に入っていない。ただカーナビに導かれて行くだけだ。が、本当に大阪というところは自然と人工のせめぎ合いが不思議なところだ。そして、この温泉の湯質がなかなかいいのである。

夕食は酒井さんの食養ディナー。

石庭の2日間でけっこうな体力を消耗したが、このご飯でまた英気を養うのであった(ありがたや・・・)。


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