今から21年前の2000年5月、水戸の友人Tの車で福井の鋸谷茂さんに会いに行き、間伐現場を見学する。そして 帰路、天橋立、籠神社、大江町元伊勢内宮を参拝し、飛騨高山経由で帰還した。まだ東京在住時代の話である。
元伊勢には神体山の日室ヶ嶽(ひむろがたけ)遥拝所があり、ここで願をかけると必ず成就するという「一願成就」の信仰が古くから伝えられている。どこに行っても絶望の日本林業の窮状を打開するには鋸谷さんの間伐法しかないと直感し、その日ここで鋸谷式間伐が世に出ることの願をかけた。
当時の僕はまだ著作を一つも持っていなかった。帰宅すると熱病に憑かれたように間伐法の図解を鉛筆で走り書きし、鋸谷さんの了解を得てインターネットで無料公開(ちょうどその年の1月に僕は初めてPC・・・お尻の丸いiMacを導入)。それがきっかけとなって林業雑誌に技術解説を連載し、初めての著作『鋸谷式 新・間伐マニュアル』につながる。
紙芝居『むささびタマリン森のおはなし』が新聞に紹介されギターと歌付きの出張紙芝居を始めたのもこの年。10月にはお茶の水「湯島聖堂」でゲーリー・スナイダー、ナナオ・サカキ、山尾三省らのポエトリーリ-ディングを聴く。そう、山尾三省にニアミスしたのもこの年だった。それまでアウトドア雑誌やイラストマップの仕事が多かったのだが、林業関係に仕事はシフトしていき、やがて群馬の山暮らしへと僕の人生は大きく変転していく。
その後、日室ヶ嶽には山暮らしを開始した翌年、yuiさんと再訪した。
次の目的地を最短時間でルートをとると、鋸谷さん宅や元伊勢に回れそうだったので早朝に池田邸を出発。日室ヶ嶽に参拝して、境内を歩きながらそんな思い出を回想していた。
さて、場所は男木島の石積みでお会いしたTさんの別荘古民家の見立てであった。「ニコニコ山荘」と名付けられたTさんの別荘は話に聞いていたとおりけっこう過酷な物件だったが、柔道家でもあるパワフルなTさんはそれを撥ねとばすかのように明るい。
自宅からここまで60kmの道のりを、なんと今回は自転車で走破して来たというから凄い(!)。というわけでラーメン用の手打ちの麺がくっついてしまい、3人で剥がしながら竃の羽釜の中へ入れていく(笑)。
京都府の山間部、この辺りは小規模な茅葺民家がとても多い。
築150年くらい、当然ながら柱や床の傾きが見られる。が、そのぶん古民家暮らしのムードはたっぷり、土間で薪を焚くのは愉しくて、率先して僕が手を出してしまった。
僕のためにスープはベジ仕様にしてくれて多謝!
麺はかんすいの代わりに重そうを使ったというが、めちゃウマだった! 群馬の山暮らし時代にもしょっちゅう麺類を食べていたけど、薪と山の水のチカラというのもあるわけで、食べていてエネルギーが入ってくるのがはっきりと感じられる。
そうそう、醤油が奥様の自作というからまたびっくり。
水源の掃除をした。
家の裏の法面は雨のたびに土砂が落ち、U字溝を埋めてしまう。
ひと月のうち数回の別荘暮らしでは手入れが追いつかず、今後の展開について悩んでいる様子だったが、とにかく水脈の「入り」と「出」をしっかり把握し、最低限それを繋げる手入れを怠らないこと・・・
やっちゃんは解説よりも早く身体が動いてしまうタイプ(笑)。
そして「点穴」処理で地中の空気の動きを回復させ、植物たちを味方につけることだ。家の中で解説しているうちに突然、「室内でいきなり炎の囲炉裏をやってしまおう」という啓示が降りてくる。そう、月に数回なら煙抜きなどあえて作る必要はないのだ。
そもそも古民家暮らしを所望したのは奥様の方からというし、SNSのお子さんたちの山荘での元気な様子をみても、それぐらいのワイルドさは貫けよう。なにより土間ではなく室内での薪火は暖房のみならず虫や動物避けに絶大な効果がある。
炎の立てる本物の囲炉裏・・・これは体験しなければ絶対にその良さは分からない。というわけで、またしても囲炉裏伝道師になってしまった(笑)。
高速に乗り、やっちゃんを京都駅で下ろしてふたたび高速へ。一人運転の帰り道は眠くて眠くて危険極まりない(笑)。途中何度もPAで仮眠しながら帰還。到着は翌深夜、ちょうど1,000㎞の旅だった。
さて、日室ヶ嶽での三度目の願掛けは? いうまでもなく「大地の再生」の伝播だ。それにしてもyuiさんとともに願掛けした山暮らし本の成就が、様々なかたちで全国の有志たちに届いているのは、嬉しい限りである♬
note/古民家の囲炉裏再生から、新築の【囲炉裏暖炉】に至るまで…>