奥永源寺/焚き火暮らしキャンプ(3日目最終日)


キャンプ3日目。すごくいい天気。さらに愛知川は澄み、水量も元に戻って泳ぐには最高のコンデション。鮎の友釣りの人が来ていた。

さっそく火を焚く。朝の木漏れ日に焚き火の煙が光の帯を描く。自由時間を親子でハンモックに揺られる。

Sさんが薪火でご飯を炊くのを、僕は遠くから見守る(笑)。だいぶコツがわかってきたようだ。

ご飯を蒸らしている間にフライパンでおかずを作る。子どもたち、薪の火で料理ができていくのを、どう感じているのかな。

三又は別の炉のに移動。これがけっこう便利♬ 意外にキャンプ慣れしているサニリリ夫妻。でも薪火の扱いは皆まだ慣れていない。

卵を投入するらしい。奥では薪の奪い合い?(笑)

この自由な感覚。縄文時代は毎日がこんな感じだったのかな?

僕はときどき手を貸すだけ。ハンモックが空いていたので、膝のやけどの手当てをしてからここでゆらゆら。

ハンモックはほとんど経験がないのだが、いい条件の場所に設置できるなら、それはいいものである。お隣さんのハンモックは蚊帳がセットになっていた。

トイレがやや離れているので、そこまでの歩きで様々なキャンプスタイルを観察することができる。みんなキャンプギアできめきめである。直火がOKのはずなのだが、焚き火台を使っている人が多い。そういえば昨日、「火がつかなくてこまっているんです、火だね貸してもらえませんか?」と熾炭を持って帰った人がいた。

目の前の愛知川はすばらしいスケールで、しかも瀬あり淵ありで変化に富み、泳ぎにもってこいの川である。最初、この川をみたとき、琵琶湖の河口から鈴鹿山脈のピーク(しかも標高は1,000mくらいしかない)までは距離にして50㎞もないはずなにに、なぜこんな水量が?・・・と訝った。

地図で調べてその理由が解った。ここから上流で扇状に支流が集まっており、集水域がとても大きいのだ。鈴鹿山脈の半分以上の水域がこの川に集まっているのである。この川は琵琶湖に注ぐのだが、長年のうちに鈴鹿山脈の花崗岩の風化土が河口に砂州をつくり、大中の湖や西の湖などの内湖をつくったと思われる。

内湖はヨシの生育地であり、琵琶湖の浄化装置であると共に生き物の宝庫であった。また、琵琶湖の魚たちにとって、稚魚の生育地であり、言い換えればここから琵琶湖に巣立っていく基地のような場所であった。

琵琶湖の女王ビワマスは、この愛知川にも盛んに遡上してきたことだろう。だろう・・と過去形で書いたのは、永源寺にダムが造られてしまったからである。ダムの下流から琵琶湖までの水量は少なく、とてもビワマスを呼び込める雰囲気ではない。

この上流部の水量のまま琵琶湖に流れていたら、どれほど勇壮な光景が見られることだろうか? もういちど愛知川で、しぶきを上げるビワマスの遡上を見たい・・・と思った。

ハンモックに揺られていたはずが、もうがまんがならず、子供たちから水中メガネを借り、傷に日本手拭いをしっかり巻いて川に入る。やや上流の瀬には誰も行かないが、僕が泳ぐのはココ。

潜れば驚くほどの数の鮎が群れている。

大きなものは20㎝もあるだろうか。少年の頃、父に連れられて猟犬とともに湖で泳いだのが僕の「水」系の珠玉の思い出である。サンゴ礁の海ではない、農業ダムの小さな溜まりなのだ。が、澄んだ水に鮎やハヤなどがたくさん群れていて、その魚たちと泳ぐ・・・それは夢のような光景だった。そのときの記憶が蘇って涙がこぼれてきた。

ちなみに世界の自然に中で、このような澄んだ美しい流れで泳げる条件の場所はきわめて少ない。澄んだ流れは北方に多く、水が冷た過ぎてとても気軽には泳げないからだ。一方、水温の高い東南アジアやフリカ、南アメリカの河川は常に濁っている。日本の川は極めて特殊なのであり、世界に冠たるすばらしい条件を持っているのだ。

おやつに小豆を煮てあんこをつくり、パン生地にくるんで油で焼き上げるというおやつを作る。僕は糖分も厳禁なのでおあずけだ。川で泳いだのを、治療してくれたMさんに怒られるかなと思ったけど、水に入るくらいはぜんぜんOKとのこと。

片付けを始める。あいかわらず積荷にはやっちゃんのトラックが大活躍。僕も鍋底洗いなどを手伝う。

散会してやっちゃん宅へ。近江平野は広い。

夕食もご飯と野菜だけにしてもらった。お酒もなし。Wi-Fiを借りて、眠くなるまでブログを書く。

来年は鮎釣りしたいな・・・。


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