太郎坊宮〜君ケ畑〜松の司・本モロコ


翌朝、まっすぐ帰宅するのももったいないのでちょっと近江散歩。以前から気になっていた太郎坊宮へ登ってみた。野洲にある三上山が近江富士と呼ばれているが、南面からみたこの太郎坊宮もなかなかのものである。

長い参道のアプローチ(車道だが)がなかなか良い。昭和初期に超古代史ブームを巻き起こした酒井勝軍は三上山を人工ピラミッドだと言った。ここ太郎坊宮と、三上山山頂を結ぶと夏至の日の出線・冬至の日没線とぴったり重なるという。

三上山(近江富士)の山頂にも磐座(巨石)があるらしいが、最近読んだ『新・日本列島から日本人が消える日』には、山上の磐座(巨石)やストーンサークルは縄文時代に目的を持って設置されたもので(その時代には超文明が発達しており、巨石を動かすことができた)、これら石のエネルギーを使ってテレポーテーションしていたそうだ。つまり磐座は移動のための駅のようなものだ、と。

お次は愛知川上流へ。昨夜I君が、永源寺方面に行くなら君ケ畑の神社まで行くといいと教えてくれた。愛知川上流には御池川、神崎川、茶屋川と3つの支流があるが、君ケ畑は御池川の最奥の集落で木地師の里として有名なんだそうだ。

君ケ畑には木地師が祖とあおぐ惟喬親王の伝承がある。親王がこちらに住まわれたとき、ロクロを用いて木地から椀器を作る業を村人に授けたという。つまりここは木地師発祥の地なのである。神社の杉はたしかに立派なものであった。再奥の集落にしては社も立派でつくりも綺麗だ。小さな神楽殿があった。ここで能など舞ったらさぞかし幽玄であろう。

白洲正子の『かくれ里』の中に、ここ君ケ畑を旅した随筆「木地師の村」という一編があるそうだ。

奥永源寺の道の駅まで行ってみた。ここで琵琶湖の魚の加工品を購入。

さらに国道421を進んで石榑(いしぐれ)トンネルの入り口付近まで走ってみた。山肌はオオシラビソのような針葉樹の入った混交林になった。いかにもヒサマツミドリシジミが飛んでいそうな雰囲気である。

道の駅で大好きな本モロコの串焼。小鮎の甘露煮、そして鮒寿司を買った。

高松に帰宅するとさっそく本モロコを開封。本モロコは琵琶湖の固有種。これがコイ科の魚とは信じられないような、香ばしく高貴な味。京都の錦小路で初めて食べて以来、僕はめちゃ本モロコのファンである。

高速に乗る前に竜王町にある松の司の蔵元を訪ねると、販売店が書かれた紙が置いてあり、村井酒店という店に行った。種類が多いので「鮒寿司に合わせたいのだが・・・」と尋ねると、初老の店主が「それなら生酛(きもと)がいいでしょう」と推されて買ったのがこちら。

やっちゃんのダンナさんから貰った自家製の干しアオリイカを焼いてみた。一口食べて思わず笑みがもれる。これはお店で買うことはできない相当レアな乾物である。

というわけで、たくさんの出会いと美味しいものに恵まれた滋賀の旅でした。皆様ありがとうございました、今後ともご支援ご指導のほどよろしくお願いいたします!


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