「大地の再生」ライセンス講座@三重・なな色の空/3日目


今日は倶留尊山を少し登ってみようということになっている。農場側から山頂までの正規ルートはないらしいが、柱状節理が間近に見えるところまでは行けるという。

望遠で撮った柱状節理の岩壁部分。希少植物もあるらしい。イヌワシなどの猛禽にも最適の環境だろう。

早朝、矢野さんと打ち合わせ、作成した資料を今日中にコピーして参加者に配ってほしいというので別行動でコンビニに行く。ちなみにホテルの朝食はビュッフェスタイルだったが、マスク、手の消毒後ビニール手袋を着けねばならなかった。

現場に着くと昨日の作業が進んで、水脈にはスギ枝葉が装着されている。雑排水をフォローするコルゲート管の上部。

昨日、出発ぎりぎりまで作業していた母屋の裏側。

農道を渡って農地につながる水脈溝にもコルゲート管が埋設し直されたようだ。

ところどころわだちに穴の空いた農道を補修していく。最初に炭、次にワラのような枯れ草、

その上にスギの枝葉、

さらに土根っこのついた草を隣からほじくり出して

被せて、わだちの間にある凸部を崩して穴の方に寄せる。そうして足で踏み固める。入れ過ぎないこと、それぞれがちょっと足りないくらいでよい。これが、やがて雨とタイヤの転圧で馴染んでくる。

下りのカーブの所は最も圧がかかる場所(水の集合とタイヤ圧)。水の流れを意識しながら土を移動し、わだちの凹みを流れてくる雨水を分散浸透させ、谷側に導く。

山側の土を掘ってわだちの凹みに移動。掘った穴には枯れ枝や落ち葉を入れておく。

谷側のわだちには、法肩の土を少しずつ削って盛る。そしてやはり削ったところには枯れ枝を。

母屋に戻りながら補修跡をチェック。

母屋前の水脈跡はほとんど見分けがつかずフラットになってしまっている。しかし、雨のない日もこの微妙な溝の中を空気流が動いている。

昼食の前に埋め戻しのクワ使いを指導。埋め戻すからといってただクワを低いほうに移動するのではなく、横に掻いて石や枝なをど先に落としていく。落ちたものはクワの背を使って側面に叩いて潜り込ませる。そうすることで崩れにくく詰まりにくい埋め戻しができる。

さて昼食後はいよいよ登山。途中まで作業道を行くのだが、倒木がたくさんあるというのでチェーンソー持参である。

コンクリート舗装の道だがそうとう長く使われておらず土に埋もれて苔むしている。が、道は直線的で一定勾配なので、倒木を利用して水切りを設置する。杭は打てないから石で止めていく。すき間にはスギの枝葉をしがらませる。

倒木が自然に水切りの形で横たわっていた箇所もあった。道とのすき間を塞いだり谷側の出口の塞ぎを開いたりして調整してやる。

それにしてもすさまじい倒木である。スギの人工林なのだが、台風で倒れたものだろう。

倒れた場所は開けて明るく、広葉樹も繁り始めているが、そうでない場所は線香林になって林内は暗い。

驚いたのは柱状節理の崩れ石が折り重なって苔むしていること、そして・・・

噂に聴いていた石室に到着。人の背丈より深い穴だ。側面は見事な石組み。

外部には階段まで作られている。中は温度が冷涼で一定しているため貯蔵に使われたものだ。おそらくお蚕の種(たね/卵)を保存していたのではないかと。富士山の樹海の洞窟にもお蚕の種を保存していた場所がある(お蚕は春に孵化するが、低温保存すれば時期をずらして孵化させることができ、量産できる)。

この先から峰に向かって直登してみる。ゴロゴロ石の急斜面だ。

途中、見晴らしのいい休息地に出た。正面が大洞山(おおぼらやま984m)。地理院地図では広葉樹のマークがついているが、山頂付近までびっしりと人工林に覆われているのがわかる。

ある登山者の「大洞山~倉骨峠~尼ヶ岳」山行記(2003年)に「2山とも頂上からの眺めは申し分ないのだが、残念なのが大洞山の登りにしろ、倉骨峠から尼ヶ岳への尾根道にしても、手入れされていない人工林に覆われ展望がないことだ。特に一ノ峰から大タワ付近は日も射さず、一人で歩いていると薄気味悪い感じさえする。これが東海自然歩道なのだから尚更驚きである」とある。

ちなみに昭和43年の創元社のガイドブック『関西の山々』では、「雄岳から北に降りる。下の草原へ相当きつい道だ。この道を下ると尼の登りまでは、立ち木のない、すばらしい高原のハイキング・コースのような道だ」と書かれているそうである。

柱状節理の岩壁ぎわまで行ってみたいが、時間切れでここで引き返すことになった。

この倶留尊山 にしても人工林の一帯は同じである。灌木も下草もないのだから歩きやすいといえば歩きやすい。しかしこのようなスギ・ヒノキの単一人工林は戦後の拡大造林政策が生み出したもので、これまでの日本には、一部の古い林業地以外にはなかったものである。

林の中を伝って農場の隣の湿地跡に降りた。

残り時間を農場の水切りやわだちの処理に充てる。

こうして三日間の講座が終了した。

テラスで終了後の感想会をしていると、いま見てきた大洞山が夕日に染まり始めた。近代農法から有機農法そして自然農へ。それでもまだ人中心の考え方で周囲の環境を含めたトータルな環境再生を見ている人は少ない。

しかしトータルな環境再生なくして真の自然農はありえない。村上さんはその確たる意思を持たれている方なので今後の展開が楽しみである。

矢野さんと名張のファミレスで閉店ぎりぎりまで打ち合わせし、駅に送って私はそのままハンドルを握って帰路についた。途中3回ほどPAで仮眠を繰り返し、淡路島の橋を渡る前に夜が明けてしまった。


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