炭開き、滋賀のシャウベルガー


早朝、昨日新たに焼いた3つの伏せ焼き窯を開けにいく。以前、東京在住時代に西多摩でドラム缶窯の炭焼き取材をしたことがあるが、炭師が「炭やきは1回ごとに全部ちがう焼け具合になる、開けてみるまではわからない。だから面白い」と言っていたのを思い出す。この窯開けの瞬間を見なければ帰れそうにない(笑)。

1つ目、ちょっと生焼けが多いが・・・。

下のほうにはしっかりと焼けた炭が。

2つ目。こちらは・・・

ちょっと焼け過ぎの感あり。が、端のほうは生焼けの部分があり、生焼け→炭→灰、のグラデーションになっている。まあ伏せ焼きというのは元々こんなもので、きっちりと全部が炭になるということはないようだ。

3つ目。これが一番歩留まりが良かった。

ここは太い枝などが入ったのでけっこういい炭ができている。焼け具合の成否は焼き方の時間だけでなく、炭材の種類にもよる。

出来上がった材料は生焼けのも、木灰も仕分けし土嚢袋に入れて保管。そのあと矢野さんは伏せ焼きの穴を平らに戻し始める。

畑地に返すときはこの埋め戻し整地が非常に重要な作業になる。

ここは雨になるとドロドロになるヨシ原だった。それが水脈を入れることで水はけがよくなり、ところどころに自生していたヤナギは畝に移しかえられた。

隣接する鶴川は台風でブッシュが流されて開放的になり、釣り師には明るく釣りやすい川になった。

石をひっくり返してみるとカゲロウの幼虫が歩いていた。

道を台風から守ってくれたクルミは新芽が吹き、アケビのつるがからんで花を咲かせている。これからは田畑の再生そして自給が非常に重要なことになっていくだろう。矢野さんはこの一帯が自然農を含めた親水公園になることをイメージされているようだ。

果樹園の竹炭跡も確認に行く。ここは中央高速道路の残土捨て場だったのだそう。ヤマグワの大木があり、花が咲いているのはその後植樹された木々だ。

滋賀に向かう。山腹にちりばめられた、まるで大和絵のようなヤマザクラの花を愛でつつ、第二東名の驚異的な近代土木工事の跡を走る。この道路がどれだけ水脈・気脈を分断しているか、これだけ構造物が強大だとその影響は計り知れない。

途中のSAで打ち合わせをすませたのだが、滋賀のお客さんのところに僕も同席することになった。このところ滋賀にはなんだか縁がある。場所は湖南市でちょっと伊賀よりだが、流域としては野洲川の支流、すなわち琵琶湖に注ぐ。田舎にも格調高い寺があるのはさすがに西国だ。中に町指定の文化財「十一面千手観音像」の座すお堂、妙感寺。

野村さんの研究所はそのお寺のすぐ近くだった。驚いたことに木工作品や・・・

セルフビルドの音楽ホールまであるのだった。

京都大学の木質科学研究所時代に書かれた竹炭・竹酢液に資料などを見せてもらいながら、矢野さんが「大地の再生」のこれまでの歩みなどを話すのだが、プレゼンがあまりに下手なので結局私が合いの手を入れて話すことに(笑)。

その後夕食までごちそうになる。80歳になるという野村さんは直々に作られた本格カレーを僕たちに用意してくれていたのである。

それがまたかなり美味しいので2度驚いた。仕事で海外経験も豊富だそうで、このカレーレシピはスリランカの現地で習得したのだそう。

そのあとは焼酎のお湯割しまでいただいて、なんとかリラックスムードで矢野さんの話や情熱が伝わったようだった。

帰りは草津駅まで送ってもらい、琵琶湖線で京都まで。そこから新幹線で帰る。京都駅で買った柿の葉寿司がまた美味しかった。大和吉野の伝統名産寿司、これまた西国の文化である。

午後からずっと雨降りだった。高松駅からアトリエに戻ったのは深夜12時過ぎ。実は今回ドリーを外に出したまま旅に出てしまったのだ。だから深夜帰りになって心配でならなかった。が、タクシーを降りてドアにつかづくやいなや「ナオ〜!」とドリー怒りの声♬ 深夜の雨の中、ドアの前で待ち続けていたのだった。

しかし野村さんの話からいきなりヴィクトル・シャウベルガーの『自然は脈動する』が出てきたときはさすがに驚いた。野村さんは木材の熱化学還元処理技術の第一人者だった(ちょっと出会うのが遅過ぎた・・・)。今年は琵琶湖沿岸にワークショップで通う予定なので、近々また研究所におじゃますることになりそうである。

TKAYA NOMURA INSTITUTE

野村さんのブログ


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください