修学院保育園・徳昌寺、2日目


朝ごはんはスタッフと有志で作ろうということになっていた。禅寺には修行僧が自炊する庫裏(くり)というものがあり、徳昌寺ではそこが現代的に改装され、使いやすくなっている。僕も手伝いに行った。

なんでも食養の泰斗である若杉ばあちゃんを講師にした料理教室をここで開いたりもしているという。ともあれ朝はご飯と味噌汁、それに納豆や卵や漬物があれば十分である。

2日目の現場は敷地に隠れていたマンホールが話題となる。普通、マンホールは規格品があって底があるのだが、ここのは現場打ちで底がない。蓋を開けると樹木の生きた根が侵入しており、砂を出すと下の砂質土から地下水がゆるやかに湧き出ていた。

つまり既設管をつなぐ役割だけでなく、井戸のような「点穴」として機能しており、最終的に道路側の下水管につなげて地下水のオーバーフローを逃す構造になっている。ここではグライ土壌が出てこないのはそのせいだったのだ。結果的に庭木は元気に育つ。

水脈が保育園の庭に穿たれる。

昼食はお弁当。野菜たっぷりの自然食系(昨日は玄米だったが今日は白米)。

今日もかなり暑かった。スタッフKさん果物をむく。

その他、飲み物やお菓子も配られ、至れり尽くせりのサポートだった。

矢野さんの指導も「水脈」「移植・剪定・掘り出し・植え付け」そして職人として立つための心構え・・・など多岐に渡った。

終了後、東近江の「延命湯」に浸かる。矢野さんは徳昌寺に長く関わっていたため、周辺の銭湯情報にやたらと詳しい。銭湯の駐車場でよく仮眠したこともあったそうだ。

銭湯の壁に「飛び出し小僧」。兵庫〜京都〜滋賀に多いこれは、ドライバーに子供の飛び出し注意を促す絵看板なのだが、「飛び出し坊や」とも呼ばれ、そのバリエーションの多さとユニークさから、メディアでしばしば取り上げられることもある。かくいう僕もコレクターなのだった(笑)。

屋久島紀行3.(京都と兵庫の飛び出し小僧)

Wikによれば

飛び出し坊やは、滋賀県八日市市社会福祉協議会(現・東近江市社会福祉協議会)の発案によって、1973年6月に地元の看板製作会社「久田工芸」で男の子型と女の子型の11体の飛び出し人形が製作され、八日市市(現・東近江市)内に設置されたのが始まりとされる。

とある。おお、今まさに「飛び出し小僧」のルーツ、本丸に来ているのか!

今日も「たむたむ畑」手作りのすばらしい夕食だった。お粥と熟成豆味噌が禅寺らしくてまた良い。

夜の座学は京都修学院の昔の写真が映し出された。やはり、段畑の広がる緑地だったのだ。きっと美味しい京野菜の産地だったのであろう。また明日の有機アスファルト工事に初体験の参加者が多く、皆からの質問が飛んだ。

参加者の一人、静岡のTさんが今日が誕生日とのことで、途中で電気が消され、ローソク付きのケーキが登場する一幕も。

この日の雑談は深夜まで及び、矢野さんは月光を見に残った皆を外に連れ出し、結局3時頃まで話していたようである(僕は明日の炊事当番を任されたので先に寝たw)。

▼技術記事はこちらです。

【京都】プレライセンス講座/2日目


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