琵琶湖のヨシと内湖、藁葺き民家で会議


浜松のイベントを終え、豊橋への移動は、片付けに手間取って出遅れたこともあり、また夕刻の渋滞に巻き込まれ、現場に着いたときはすでに暗くなってしまった。その夜はH君と米原のビジネスホテルに泊まり、翌朝は別行動でH君は矢野さんと京都の現場で合流。僕は午後の徳昌寺の見学までフリー。朝食を食べてのんびりと琵琶湖の湖岸を南西へと辿った。

ごろた石に泥アクがこびりつき、湖水の状態はよろしくない。

琵琶湖に流入する小河川の水質もみな濁って色が悪い。とくに酷いなと思ったのは内湖の「西の湖(にしのこ)」である。内陸部に独立しながら琵琶湖と何らかの形で接続されている湖沼を「内湖(うちうみ)」といい、なかでも西の湖は最も大きい。

この一帯は実は広大な干拓地で、昭和17年までは安土山の北のすそは琵琶湖の岸辺だったのだ。周辺のヨシ群落は近畿地方では最大級であり、周囲は「安土八幡の水郷」として琵琶湖八景のひとつになっている。

ヨシ原を主体とする湿地には動植物が極めて豊富で、2008年にはラムサール条約湿地エリアに西の湖が追加登録された。ヨシは成長して広がり大きなヨシ原を作る。マコモ、カサスゲ、オギ、ウキヤガラ、シロネなどの草本、ヤナギなどの樹木も生えており、これをヨシ群落と呼ぶ。

▼このヨシ群落には3つの働きがある
1)ヨシによって水の流れを弱くして水の汚れを沈める
2)ヨシの水中の茎につく微生物や群落の土中の微生物によって水の汚れを分解する
3)ヨシが水中の窒素、リンを養分として吸い取る

▼かつてヨシは様々な用途に使われた
伝統的な日本家屋には多くのヨシが使われていた。ヨシ屋根、ヨシすだれ、夏障子、ヨシ衝立などなど・・・。現代の生活では、ヨシ製品はほとんど使われなくなった。

▼ヨシ原は管理されていた
冬になると枯れたヨシの地上部分を刈り取るヨシ刈りが行われ、ヨシが収穫される。刈り取った部分は抜け殻的でヨシの生体には影響はなく、むしろ刈り取りを行うことで、次の年には立派なヨシが取れる。ヨシを刈り取った跡に同じヨシ原に生えていたカサスゲなどの雑草を敷ぎ並べ、しばらく日を置いて乾燥させた後、雑草を燃料にして火で焼き払う。すると、春に良質の美しいヨシが生えてくる。

▼ヨシ原は魚や貝の宝庫
ヨシ群落には、多くの魚の卵が産み付けられる。卵からかえった小魚は、餌場や隠れ家としてヨシ群落で育つ。コイ、ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、ギンブナ、ホンモロコなどヨシ群落内に卵を産み付け、小魚の時はこの中で生活する。ヨシノボリ、スジエビもヨシ群落の中に、またカワニナ、ヒメタニシなどの貝類もヨシに付いて棲息している。ヨシ群落は淡水魚介の宝庫なのである。

昭和17年から干拓が始まる以前、西の湖の東に中小の湖と伊庭内湖があった。この一帯は良質なヨシの産地として栄えた。また7つの村に漁村があり、フナ、コイ、ウナギ、モロコ、エビ、カラス貝など漁業が盛んだった。

昭和22年、中小の湖と伊庭内湖の342haが干拓される。当時はまだ西の湖だけはイケチョウ貝による淡水真珠養殖が盛んだった(現在は消滅)。中の湖は昭和21年から干拓が開始され、22年後の昭和43年(1968年)1,145haの干拓地が完成する。こうして内湖の多くが消えた。

びわ湖最後の内海、西の湖

かつ ての大中之湖は恐ろしいほどに沢山の魚を沸き立たせていたという。大中之湖で生まれた魚たち は琵琶湖本湖に出て大きく成長していく。内湖は魚たちにとって揺籃の地であり重要な存在だったのだ。

先日、キャンプに行った愛知川の河口はこの干拓地のすぐ側にある。愛知川は鈴鹿山脈の広範囲に集水域を持つ、琵琶湖の水系にとって極めて重要な河川なのだが、実はこの内湖を作ったの は愛知川なのである。愛知川 から流れ出てきた砂が琵琶湖の流れに乗って南下し、砂州を作り、内湖を琵琶湖から切り離していったのだ。琵琶湖の心臓部に生物多様性の基盤になる内湖を作ったのは、愛知川だったのである。

1972年には愛知川に永源寺ダムができ、ビワマス産卵の遡上ルートが断たれ、川石に苔が付かずアユが育たないといった現象がおきた。かつて、愛知川は全国から良質なアユを求め て釣り師が集まったというのだが・・・。

田中滋/なぜ愛知川流域を研究するのか

そしてブラックバスをはじめとする外来魚の猛威が在来魚を駆逐していく。今ではオイカワさえほとんど見られなくなったというのだから・・・。

今日は月曜日であいにく図書館や博物館がお休み。さて、道の駅「竜王の里」で一休み。

ここは源義経元服の地。建物のデザインは義経の兜からきているらしい♬

元服したという神社。

夕刻になってしまったが、徳昌寺へ。矢野さんの案内で境内周囲をまわり、

施主のGさんの案内でお庭や内陣を拝見させていただいた。

Gさん紹介の藁葺き古民家で合流して、八日市町の銭湯へ。

和風ファミレスで食事。

本当はこの古民家の囲炉裏再生の打ち合わせでのんびり泊まらせてもらう予定だったのだが、京都から大地の再生のメンバーが結集し、急遽ミーティングが・・・・深夜まで行われたのでした。

この古民家をヨシ葺きに吹き替えて、囲炉裏を焚いて、ビワマス再来の夢を見る・・・。そんなことができたらどんなに素敵なことだろうか。


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