近江の信長という男


昨夜帰宅せず泊まることになったのは、安土城に関する博物館を見たいという気持ちも後押ししていた。琵琶湖周辺にはまだ見ていない博物館がいくつかあって、仕事の旅のついでに見ておきたいなと思うのだが、いつもワークショップの翌日は月曜日で公共の博物館は休館日なのだ。

今日は火曜なのでそれを見て帰ることにする。まず、安土城考古博物館へ。常設のほか最澄に関する特別展をみる。最澄展はずいぶん昔に比叡山で見た覚えがある。天台宗の展覧会でいつも感銘を受けるのはお経の文字の美しさである。

近江に来ていつも気になるのが安土城と信長。ようやく織田信長のふところに入った。

天下を統一した織田信長は琵琶湖湖岸の安土山に最初の城「安土城」を築いた。その建築は石垣も卓越したものながら、なにより日本の城郭建築のスタイルを初めて打ち出したものなのだ。

信長の築いた安土城址があった場所は、鈴鹿山脈の半分以上の水域を集める愛知(えち)川の琵琶湖の河口にあり、その砂州が(すでに埋め立てられてしまったが)大中湖・西の湖という、かつて40数か所あった琵琶湖の内湖の中で最大の面積を持つ(諏訪湖よりも大きい)中湖(なかうみ)を作っていた。

地理院地図を改変

そこはヨシ群落があって様々に使われ、江戸時代には年貢にもなって水運で京都や大阪へ運ばれた。もちろん水質浄化や魚や水鳥の生息に欠かせない重要なポイントで、いわば琵琶湖の心臓部ともいえる。

信長が安土山を選んだのは、そこが中山道という全国交通の要所であり、日本海の廻船ルートにも近く、朝廷のある京都を睨むという地勢があったから・・・という。が、それだけでなくこの地形と自然をも見据えていたにちがいないのである。しかし、その時代に愛知川をビワマスが遡った光景はどんなに勇壮で美しかっただろうか?

僕は日光の中禅寺湖で、琵琶湖のビワマスをルーツにもつホンマス(50cm近い大型)をルアーのトローリングで釣り上げて、自宅で料理して食べた経験があるのだが、いまだにそのマスが「すべての淡水魚中で最も美味い魚」と思っている。

川だけ地形図/赤が安土山、青が愛知川集水域の末端

ともあれ当時の人々は自然に対する深い理解を持っていただろうし、信長は美的センスにも極めて優れた感性を持っていた・・・と考える。でなければあんな城を作れるはずがない。

同じ敷地内にある「信長の館」へ。安土城の天守閣再現と、

全体の模型がある。これがもう・・・驚くほど造形的に面白い! 城郭はふつう正方形の重ねをベースにしているのだが、この安土城は中に多角形が盛り込まれている。

この複雑な、日本の歴史の中で初めて作られる城郭建築は、わずか3年で完成し、しかも完成後4年で灰燼に帰し(原因不明の放火によって)あとかたもなく消える。

信長はそこまですべてを演出したのではないか・・・金色のレプリカを見てそんな妄想がこみ上げてくる。

石垣の大石を運ぶジオラマも面白かった。

館を出て、滋賀県の県庁所在地、大津の街へ。いつも大津は高速道路で通過してしまう。ここには路面電車があることを初めて知った。

某所で食事。

神戸で温泉に入って帰還。


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