2/27に見学させていただいた古民家の庭の剪定に行ってきた。アカガシやウバメガシなどが伝統的な庭師によって作られた小さな庭で、前の持主はお茶を嗜んでいたらしく、灯篭なども配されて小さいながら風情がある。が、すでに放置されて久しく、植木は伸び放題になっている。大きく剪定しないと手遅れになりそうな気配で、切るなら季節的にもはや猶予はない。
門からのアプローチにはモミジやツツジがあり、庭内部には塀に沿ってアカガシが並び、内陣に大きなウバメガシが玉散らしに仕立てられている。中には枯れてしまった木、枯れかかっている木も見受けられる。
いま、このような日本庭園風の庭を親の代から受け継いだものの、趣味に合わず取り壊して駐車場にする例が後を絶たない。都市の中の緑地は様々な意味で重要な存在である。まず、地中に雨を浸透させ、空気の循環を良くする役目がある。そして、住宅の小さな庭や公園緑地の連続が、里山のスポットをつなぐコリドーになっている。とくに小鳥たちにとって庭は重要なスポットなのだ。
このまま庭師に頼めば再び日本庭園風に刈り込まれてしまうところだが、自然樹形に戻しながら新しい庭に移行させてみたい。ここを買い取った持ち主のNさんは、私の本の読者でもあり、将来ここに囲炉裏暖炉を入れたいという。ならば剪定した庭木は薪にもなる。この機会に剪定枝から薪への仕立て方を伝授してしまおう。
薪に使えない枝葉の部分はアトリエの庭に移送。堆肥として使わせてもらう。
庭の塀際に点穴を4カ所作った。裸地にはGomyo倶楽部で作った竹の熾炭をまき、その上に枯れ草のグランドカバー。
枯れた木も根元からは切らない。我々は「大地の再生」流に「空気の流れ」を重視して剪定を行った。枯れ木はすでに乾燥しているので実験的に焚き火をしてみる。住宅地の中だが、このい程度の焚き火台を用いて、乾いた薪を上手に燃やせば苦情がくるほどの煙は立たないものだ。
ある程度の大物を切り込んだ後、室内で昼食をとっていると、さっそくジョウビタキが舞い込んで来て、嬉しそうに庭を飛び回っていたのが印象的だった。
若い人たちが「喜んで受け継ぎたい」と思うような、和と洋の融合した、自然の力強さと美しさのある庭を再創造できれば、いいケースになると思う。今後の木々の芽吹き、開花、下草の具合など、成長過程を観察させてもらう約束をして、Nさんの庭を後にした。