草を刈りながら


伐って切って伐りまくる山の庭の夏


8月のお盆を過ぎると、樹木の生長はぐっと穏やかになる(水や養分の流れが少なくなる)これ以降に伐れば木は薪にするにしても用材にするにしても使いやすいものになる。虫食いなどが少なくなり、乾燥も早まる。だから木を剪定したり伐るならお盆以降にしたいのだが、とはいえ、この山で8月まで木を放置しておくと、とんでもないことになる。

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3mはある自然石の石垣から立ち上がる南面の庭には、ツバキ、ツツジ、カエデ、カキ、ヒイラギナンテン、ジンチョウゲ、キンモクセイ、クチナシ、などが植わっているのだが、6~7月にかけて、それぞれが枝を伸ばして強烈に自己主張し、空間を奪い合う。そこにフジやヤマイモ類のツルが巻き付く。その他、勝手に生えて来たケヤキやシュロがいつのまにか大きくなっている。下からはオオバギボウシやミツバ、シュウカイドウが葉をわさわさと茂らせ、その隙間を縫ってスギの実生まで生えてきている。

いったいこの小さな庭に何種類の植物があるのか? 春にはイカリソウ、カタクリ、エビネまで咲く庭だが、夏にはどこにいったか解らなくなる。とにかく、この季節に植物を放置しておけばジャングル状態となり、屋敷に風が通らなくなる。伐って切って伐りまくって秩序を与え空間を確保するしかないのだ。

部分的に切り残すことも大事


野バラもあり、毛虫やハチ、ムカデなども多いので、怪我や虫さされは毎年のこと、剪定ばさみ、枝打ちノコ、それに鎌を持って、YKと二人掛かりでバチバチと枝を切ったり下草を刈ったりしていく。それでも残したいものは上手に残し、下には後続のトラノオなども出始めているので、全部奇麗に刈ればよいというわけでもない。

たとえば密閉状態で枯れかかっていたイチジクなどは、周囲の被圧植物を刈ってやるだけで息を吹き返したし、最初の年には咲かなかったヤマユリは4株も出てそろそろ花を咲かせようとしている。石垣にはサボテンまで付着しており、それも周囲を刈ることで今年はまた花を咲かせた。

イギリス式ガーデニングとのちがい


こうして見ると、この庭はいま流行のイギリス式ガーデニングとあまりにもかけ離れている。標高600mの高温多湿の日本の山は、かの地の植物相とはあまりにも違う。もう「爆発する」という表現が相応しいほどの植物の繁茂をみせる。たじたじ、圧倒されてしまうほどの、それはそれはものすごい植物の生長なのである。

イギリス式ガーデニングとかけ離れているとはいえ、種類が貧弱というわけでは決して無い。その逆である。また、徹底的な庭師的剪定を繰り返す日本庭園とも違う。ここではむしろ、野生の植物を呼び込みながら、適度に剪定するだけで、自然の庭ができてしまうのだ。ともあれ剪定した枝葉は膨大で、それをとりあえず積んでおく場所を確保するのがまた容易ではない。

旺盛な植物の繁茂が暮らしを支えた


夏に高温多雨であるというこの植物の繁茂のおかげで、日本は狭い国土にたくさんの人を養うことができた。水があるからイネが育ち野菜ができ、豆が採れ、牛馬が飼えるほど草に恵まれ、薪にもことかかない。しかし、今そのことを忘れ、最も豊かな農地をつぶして、駐車場付きの郊外店を作ったりしている。

山に暮らしていると、ムカデやマムシよりも、打ちのめされてしまうのは、実はこの夏の植物の繁茂なのだ。伐っても切っても刈っても、次から次へと足の踏み場もないほどに生えてくるこの植物たち。だが、それを上手に使うなら、動植物と共存しながらほんとうに豊かに暮らすことができる。

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「多孔質構造」が生き物の住処に


もうひとつ、農山村は「多孔質構造」になっている。石垣や薪積みなど、人の暮らしとともにあるなにげない場所が、実は生物にとって重要な住処になっている。そして、これを肝に銘じてほしいのだが、日本の場合、実は高い山よりも、里山や平地のほうが生物層は圧倒的に豊かなのだ。

ここで草を刈っていると、そのことが脳裏に蘇ってくる。そんな場所で虫や魚たちと遊ぶことで「ふるさとで育った」という感覚が子供たちにできる。とても大切なことだ。それをぜひ復元したいものである。

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