国立(くにたち)の洋館、「大地の再生」新年会


早朝に上野原を出て再び東京に向かう。中央道を走りながら、矢野さんが上野原の地の利を説明してくれる。上野原は山梨の最東部で、都心へのぎりぎりの通勤圏内でもある。ということは、山村から生まれる物販を都市部で行うには有利な場所、と考えることもできる。

国立の住宅の中にその敷地は忽然と現れた。敷地を囲む竹垣、中に竹林とけっこうな高木が見える。

中に入ると立派な洋館、そして後付けされたような平屋の和風建築が・・・。すでに重機が動いてスタッフによる作業が始められている。今日はここで夕刻まで作業して、夜は徒歩圏内の居酒屋で新年会となる。

周囲にはマツ、モミジ、カシ、シュロ、タイサンボクなどの木々が点在している。この住宅密集地で、奇跡のように残った緑地と洋館だった。

隣家に住む所有者は、しばらく放置されていたこの洋館を再生して、カフェ・レストランのような形で運用していきたいという。

それには、まず敷地周りの整備が重要だろうということで「大地の再生」に声が掛けられた。

中も見せていただいた。大谷石のマントルピースがあるが暖炉としての煙突構造はなく、ストーブが取り付けられている。

矢野さんがこの地の特徴を見に散策に行くというので、焚き火をしばらく鎮火することになり、スコップで土をかける。こうすると煙もそれほど出ず、熾火は残って焚き火を再開しやすい。

ここは「国分寺崖線(がいせん)」と呼ばれる武蔵野丘陵の河岸段丘面で、少し歩くとJR中央線とぶつかってその顕著な斜面を体感できる。崖線は過去に多摩川によって作られた浸食面で、そこには樹林が残り湧水も出る。都市化の進んだいま生き物にとっても貴重な空間だが、すでに一帯は斜面にまで宅地造成されている。

その中でこの敷地の竹林や高木は国分寺崖線の貴重な名残りをとどめている。「崖線は空気と水の交差する重要な場所、その斜面を支えるように大木がある。それと共存するように建物が一体化して、昔の武蔵野の面影がここにある。ここがどう利用されるか待っている」

一部を伐採したおかげで光と風が入り過ぎ、数本のマツが枯れ、他の樹木も傷み出していた。「風が通り過ぎると草木が暴れ出すので、控えめに目通しが効くような風通しに抑えておくのがよい。下草を風の草刈りで管理していくと、寄り添う木々は根を変化させて上部も穏やかに変わっていく」

矢野さんの指示を受けて、各自が作業を再開する。

資材は敷地内に十分存在する。ただし炭だけは外部からたっぷり持ち込まれた。

建物に手を入れる前に外周に手を入れる。ここは黒土で軽くふわふわしているので、掘ったとたんに水蒸気が抜けて、溝ぎわの植物が乾燥しやすい。なので掘った土は乾燥を防ぐために建物側に置くのではなく植物の上にかけておくのがよいそうだ。

密になった高木の枝葉も切り過ぎず、抜くのは1/3以下のイメージ。

通気浸透水脈に資材が投入される。

所々に点穴を作る。

私も建具のバラシを手伝った。焚き火で焼き芋をいただいた。

宴会に参加する前に、関東甲信越のスタッフでミーティング。

新年会は西2丁目の「キノ・キュッヘ(木乃久兵衛)」で6時から行われた。

ワンプレートと飲み放題で。

自己紹介タイム。

Mさんが製作中のドキュメンタリー映画「杜人」のダイジェスト版も上映された。

私がこういう飲み会に参加するのは、森林ボランティアをやっていた90年代以来だな・・・。ともあれ皆さんといろいろ話ができて有意義な時間でした。

帰りは矢野さんの運転で再び上野原の古民家へ。早起きして明日は高松に帰る(その前に現場2件に同行する)。


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