仙台朝市のハゼ、人形町「福そば」


朝食の後、伊達の殿様が来た時に使っていたという別棟を、女将さんが案内してくれる(ただし火事で消失した後の再建)。昔はここにも客を泊めていたことがあったという。

内部には当時の調度品などが展示されている。私はそれよりも女将さんの「温暖化」の話が気になってしまった。ここ数年、この一帯は「夏と冬だけ」の季節感になって困っているという。夏はかなり暑く、冬は冬で雪が少なくなり、そのくせ寒さが厳しく、つららが太るので建物が傷みやすい。

温暖化もあるだろうけど、雨水を大地に浸透させない土木工事のせいで、都会だけでなくこの丘陵地や山麓にまでヒートアイランドが起きているのではないだろうか? その気さくな女将さんが、帰りのバス停までの送迎をしてくれた。そして再び仙台へ戻る。もう一度、仙台朝市を見たかった。

以前案内されたカフェにまた行ってみた。美形の店主は前回のことを覚えていて、あのいでたちの同伴女性はいったい何者なの? と・・・知りたがっていたので「大地の再生」の活動の話をひとくさりしたのだった(笑)。

ハンドドリップのコーヒーとバタートースト。朝は宿でしっかり食べたので昼はこれでいい。器も綺麗だな。

仙台朝市のことを色々聞いているうちに、当地の「お雑煮」はハゼの干したもので出汁をとるという話題になる。初耳だった。暮れになるとそれが朝市のそこかしこにぶら下がるという。名残りを撮影する。けっこうな値段である。

でも、今の若い家族はそんなもので出汁はとらなくて、買っていくのはお年寄りばかりだとか。帰りにまた魚屋で身欠きニシンを買いながら、店員さんにハゼ出汁の話を聞いた。もともと海沿いの街の風習らしいが、味はなかなか旨いものらしい。

新幹線でひとまず東京へ。

郡山を通過中に母校のN大工学部を発見。私はここで18歳から21歳までの4年間を過ごした。土木科で学んでいたにも関わらず将来は絵やイラストで食べていくことしか考えていなくて、スレスレの単位でなんとか卒業し、教授の紹介でとりあえず東京の設計コンサルに転がり込む。あれから40年・・・イラストレーターになった私が車窓から流れ去る母校を見ている・・・。

今宵の宿は、都内のことごとくが満室で、ようやく人形町で一室だけ取れた。東京駅からのアクセスが悪くて、タクシーだと千円くらいで行けると思うのだが、もったいないのでキャリーバッグを引きながら歩く。

しかし、人形町はなかなか面白かった。飲食店のるつぼのような場所で、高級店から立ち飲みまでありとあらゆるジャンルが揃っている。夜は有名な洋食店に行ってみた。

スープやサラダは良かったが、本体はイマイチでしたな・・・。

しかし、翌朝6:40の開店と同時に目指した立ち食いそば屋は、凄かった。

誰かが「立ち食いそばの最高峰」と言った・・・。そのとおり。

今日のホテルを東京の定宿にしたい(笑)。


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