西日本豪雨被災地@広島呉市安浦2-3/放置田の整備と単管外し


昼食後、昨日下見しておいた放置棚田に移動する。崩れた沢の最下部には早くもトンパックが積み重ねられていた。

太い枝の出たヒノキの丸太が転がっている。丁寧に伐採して製材・乾燥すれば、これ1本でも相当の資産価値があるはず。倒木のまま放置するのではなく、さばいて薪にするだけでも相当な量が採れるだろう。この一帯だけでも、このような流木丸太は膨大な数にのぼる。枝付きのヒノキは強靭な素材である。本来ならこれらを崩壊堰堤の仮復旧資材として有効活用するのが一番いいはず。

作業に入る。矢野さんが重機のブレーカーで土を掘り、後続隊がスコップで穴を起こし、さらに後ろから有機資材を入れていく・・・という大地の再生チームお得意のパターン。

そろそろ稲刈りが近づいている。被災地では土石流で壊された田んぼ、被災をまぬがれて稲が生育しているが水が絶たれてしまった田んぼ、放置田なのに周囲の被災で水が入ってきてしまう田んぼ、といろいろなパターンがある。

被災にはまず住まいの掃除や補修が一番だが、次は先祖代々作り続けた田んぼ、ということになるのであろう。放置田には水はけの良さを、そして水の入らなくなった田んぼの水源をつなぎ直したい・・・というのがこの現場の要求だった。

有機資材は流木の枝葉を用いる。チェーンソー隊がどんどんそれを作って補給する。

石垣側は風の草刈りで伸び過ぎた植物を整理。この田んぼはトラクターを入れて田んぼ内に雑草はすき込まれてしまったのだが、水害対策なら本当は雑草を生やしたまま、風の草刈り(高刈り)で管理したほうがよい。

Kさんが作業風景を激写。

溝穴はどんどん伸びていく。

枝葉を入れる。通常の通気透水脈には炭を入れるのだが、今回は下の家屋への水害回避が第一目的なので省略。

きわに土嚢を積んでいく。これで豪雨がきても大丈夫。

底を抜いたオイル缶を補助に使った土嚢作り。

ナルホドこれなら早い。

田んぼの掘削を終えた矢野さんは上流に向かう。道を塞いていたブッシュを壊して前進。写真家のKさんがそれを追う。

放置田の仕事はほぼ完成。その仕事ぶりの早さにボランティアコーディネーターのMさんも驚いている。

ただし上流石垣側の有機物は瑕瑾だったらしい。矢野さんに「そこはいらない」と指摘され、取り外していく。溝に入れる有機物には様々な役割があるが、一つは「穴の崩れを防ぎ通気・通水を確保する」ということ、そして「通気通水のガイド」となること(流体は物質に沿って動く)。さらに生き物に住処を提供するという側面もあるだろう。ただし風通しをよくして地中の水分を抜きたいときは、ただの溝のほうがよいのである。

道を塞いでいたブッシュの両脇に、単管(鉄パイプ)が組まれたまま散乱していた。それを外しにかかる。クランプ(結合部の金具)はラチェットレンチという工具で外していく。私は若い頃「型枠解体」のバイトでざんざん鉄パイプをいじった経験があるので、バックを置いて手伝うことにする。

矢野さんは上流の水源目指して道をきっていく。ここは杭打ちで凌いだが、あわや転落か・・・と、ハラハラさせられた。

田んぼチームは先に帰還。矢野さんの仕上がりを待ってようやく終了。時間は6時を過ぎて暗くなろうとしていた。お疲れ様!

私も今日はよく働き汗をかいた。今宵は地元S姐御の案内で呉の町屋台で飲む予定。楽しみ♬

(続く( ^ω^ )/)


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