西日本豪雨被災地@広島呉市安浦1-1/初期再生作業の検証


10日から2日間、広島の災害ボランティア取材に出かける予定だったが、現地が大雨で通行止めになり延期に。昨日また役所に行って災害派遣車両の申請に行って書類を作ってきた。そして本日出発。

集合場所は呉市、私は8/5、8/19に続いて3回目の来訪。安浦町の残土置き場に集まり、新幹線の車内で描いてきたという水脈と崩壊のイメージ図を見ながら説明を聞く。

矢野さんは忙しい移動の最中にもたびたびこのような色鉛筆図を書き上げて、講座の最中に見せてくれることがある。今回の広島豪雨災害は谷筋の水脈を中心に崩れている。その河川はやがて瀬戸内海に流れ込むのだが、源流から河口までの間に、いくつもの土木構造物ができている。

また河口付近は都市部になっており、この20年で昔は磯や浜辺だった湾内に港湾の整備が進んだ。とくにここ中畑川は人の開発による塞ぎが多い。地形の安定をはかる土地利用は昔はため池や石垣など、木杭や石を使った手作業の土木工事が植物を配置しながら行われたが、現在ではコンクリートと重機を使った強く押さえつける空気や水の「抜け」のない土木工事で固められてしまった。それが崩れの原因を作っている。そんな関係を描いたイメージ図だった。

コンクリートで強く抑えるならそれに応じた抜けが必要なのだ。自然の地形はその不具合を長い年月をかけ正そうとする。今回崩れているところは、ことごとく堰堤や道路やコンクリート擁壁などがある場所だった。人間の血脈も部分をちょっと手で抑えるだけで全体の血行が悪くなるが、空気と水の塞ぎが土をグライ化(還元土壌)させ、植物の根が疲弊してさらに土中の空気と水が停滞し支持力が弱くなる。崩壊地がどこも一様にグライ土壌特有の臭気を立てているのがその証拠でもある。

車に乗り合わせ、最初に大地の再生チームが入った中畑地区のUさん宅を見に行く。ちょうど家主のUさんが軽トラで出て行くところに遭遇し、ご挨拶する。とても暖かな笑顔と言葉を返してくれ、このボランティア活動に感謝されている印象を受けた。

矢野さんらはまだ崩壊間もない8月初旬にここに入り、土砂の掻き出しや水切り、グランドカバーなどを行なっている。そこから一ヶ月以上が過ぎ、しかも昨日は再び避難指示が出るという150ミリ程の雨が降った。作業の検証には格好のタイミングだった。

Uさんは一人暮らしのおばあちゃんだが、畑が好きで避難所に暮らしながら軽トラで家の掃除や畑作業に通っている。矢野さんはその意を汲んで家周りだけでなく畑の周囲の水脈整備なども行っていたのである。

風景の全体に泥アクが消えているのが印象的だった。砂のたまったU字溝にはまだ水が流れていたが、きれいに澄んでいる。大地の再生方式で水脈を整備すると、ホコリが立たなくなる(泥ボコリのままだとタネも発芽しないそうだ)。また泥アクのまま放置すれば泥が出続け、やがて中畑川に流れ込んで川をダメにする。ちょっとしたケアを行うだけでその出方はまったく違ってくる。

基本は水切り溝と点穴だが、流れを早くし過ぎてもいけない。とくに畑から石垣下部への流れ出しは要注意で、落とし口を分散したり、流れすぎを防ぐ点穴を作るなど、矢野さんは不備のある部分を三つグワで修正していった。

その畑にあるカキの木に新芽が吹き出ていた。植物たちは実に正直で、水脈が整備され、地中に空気が通るとたちまち反応を示す。

家の前の中庭(駐車スペースでもある)にはグランドカバーとしてたっぷりのチップがまかれていたが、ここもコンクリート舗装に変わる道が急なので、抵抗柵が必要だろうという。

しかし、土は団粒化して雑草の芽が出てきている。

反対側の道に回り込んでみる。

家の山側は土砂が壁まで来ていたが、重機を2台使って掘り上げた。その重機を安定させるために流木丸太で杭を何ヶ所かに打ってあるのが見え、番線で横木を止めて土留め柵としている。残骸の不安定な壁に見えるが、このほうが空気や水を通すので大雨でも安定し、通路に爽やかな気が流れている。

道と敷地の間も水脈整備をしたが雨で炭や有機物が流れ、溝が埋まり始めていた。

家の裏側からU字溝が伸び、ちょうど矢野さんが立っている辺りが斜面の変換点になっている。水流や空気の流れで一番力がかかる所で、ここには点穴や抵抗柵を設置する。抵抗柵は土留め機能を持つが、同時に空気を抜きながら泥漉しの役目も果たさねばならない。つまり「留める」と「抜く」という矛盾した2つのキャラクターを持つ構造物が必要なのだ。

コンクリートの歩道にも前回チップと石を置いて、流れを弱め、左右に水を分散させておいた。空気通しができていると、チップが土に噛んで小さな構造物としてコンクリートに張り付き、豪雨でも流れない。また、ここで水流が落ち着くことで、上流の水の走りも穏やかになり、それが周囲の植物にも影響を及ぼす。

チップの崩れ方から流れを読んで、矢野さんが三つグワで微調整に入る。行政の土木工事が入れば、ゴミ掃除として一掃されてしまうであろうこのママゴトのような有機的置き物は、実は上流にも下流にも大きな影響力を持っている。

堰堤やため池を破壊して大暴れした沢は、澄んだ水が回復していた。

自然界の塞ぎはそのラインに必ず「抜き」がある。人間が構造物でそれを停滞させると、たちどころにどこかで水たまりができる。そして長年のうちに破壊のエネルギーが増大する。

水脈の構造物には

1)土留め(圧力で止める)
2)通気通水(水と空気の循環)
3)泥漉し

という3つの機能が必要であり、実は植物にはこの3つの機能がすべて備わっている。人工エリアの構造物にはこの機能を積極的に盛り込まねばならない。昔の里山の整備はこれができていた。そうすることでありのままの自然よりも強靭になり、生産力はが増し、動植物も豊かで美しかった。必然的に美しい風景が生み出されていた。

停滞を揺り戻そうとして自然みずから破壊した土石流は、すでに意味ある場所に土石をばらまいており、空気が抜けて水脈が回復している。水と空気はコマのように渦を巻いてバランスを保ちながら動き始めている。

「留め」と「抜き」は相反する機能だが、渦の流れもまた進む力と後退する力という相反の融合であり、これこそが宇宙エネルギーの根本原理でもある。

災害復旧の初段回は、自然がやりきれていない停滞に手を加えてやる。バロメーターは泥水が消えること。点穴と蛇行をバランスよく配置する。強く抜きすぎるとまた溜まる。走り過ぎると侵食が起き、ドロを流す。

これらの改善作業はどこをどの程度やったらいいかという数値化ができない。例えば水音の変化で確認するほうが早い。気持ちがいい、息ができる・・・という感覚。・・・それは人に産まれながら備わっているもので、「五感」を通して感じる、感じ取れるものなのだ、と矢野さんは強調する。

程よい改善作業ができれば、雨量が増えたときさらに強い力が働いて、アクが消える。このママゴトのような作業のほうが、配置した石や有機物が大雨で流れない。やりすぎると大雨のとき水が走り過ぎて、流れてしまう。程が良ければ自然が7割の力を持って応援してくれる。

このように応急的な復旧のその後の反応を見て、作業を積み重ねる。そして仮復旧に向かうのがよい。

残念ながら、現在の現行土木の仮復旧はトンパックで水脈を直角に遮断し・・・

走り過ぎる三面張りの水路を掘り出して元に戻す。そしてさらに抜きのないコンクリートで増強しようとする、その繰り返しになっている。

どこかに大地の再生手法のモデル地区を作れないだろうか? そんな話をしながら市原の集会所に移動する。

(続く)


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