西日本豪雨被災地@広島呉市安浦1-2/水たまり改修、現場下見


今回のベースは安浦町立市原老人集会所。ここで昼食となる。正面には道を挟んで荒涼とした被災の光景が広がったままだ。北海道で地震が起きて話題となり、西日本豪雨のことなど忘れ去られようとしているが、まだこのような状況の場所が多々あることを、どれほどの日本人が認識しているだろうか。

昼食はエスニック味のカレーに野菜の小鉢、すまし汁にタピオカのデザートと豪華。食材集めや調理はボランティアスタッフの方が対応してくれていて、我々はこの昼食ほか飲み物などを無料で頂くことができる。

こんなかわいいマドレーヌも差し入れに♬  先月おじゃました九州朝倉の梨も届けられ、たっぷり食べさせてもらった。美味しかった!

この地区にはボランティアコーディネーターのMさんという方が常駐し、各地から集まるボランテイィアに場所と作業内容を振り分けてくれている。それがこのような休憩所や食事の提供に至るまで多岐に渡っていてありがたい。

食後、現代の土木構造物の詰まりと崩壊の関係について、スライドを見ながらの座学を少しやってから現場へ。Mさんが地元の自治会から作業の優先順位の要望を聞き、午後はその場所を回ることになった。

まずは下流のダム流れ込み付近の道路である。泥が水みちを塞いで大きな水たまりが広がっている。そこを工事の大型ダンプが行き来するので、いつまで経っても水が引かないようだった。

手作業のっスコップで泥を上げて水みちを切り、水を崖下に導いていく。沢の流れ込みもまた、道側に回らぬように水みちを誘導する。

木片と泥を使って水切りを作る。

崖の落ち口は流速が速くなりすぎないように小石や枝でクッションを作る。

作業開始から約30分で水はだいぶ引いた。

こちらも崖から落ちる流れ出しの手前に池を作り、小枝や石を置いて緩衝帯とする。

矢野さんが流れ出しのチェック。

流れ込みの沢も。こちらは小淵に大きめの石を投入して緩衝を作る。

すっかり泥水の引き始めた道を戻って次の現場へ。

会館の上流側には沢が崩壊したところが何カ所もある。この下にあった茅葺き民家は土石流で全壊し、その残骸が河原に山積みになったままだ。

この家は不在なのだが、山側の放置棚田から水が落ちてきて、家も痛むし石垣の崩れが心配だという。そこで明日はこの放置棚田の水脈整備と草刈り、そして土嚢積みをやることになった。

棚田の奥にある崩壊跡の沢に下りてみた。堰堤が連続しており、その上を土石流が滑り落ちてきたようだった。

古い堰堤は破壊されていた。

胸高直径40㎝もある木々がなぎ倒され、積み重なっている。

堰堤のプレートには「施工年度 昭和43年」と刻まれている。およそ今から50年前、施工主体は広島県林務部、復旧治山事業によって造られた堰堤だった。

今日の宿は、地元のお寺の本堂に雑魚寝。食事とお風呂の前に今日の感想などミーティング。

ボランティアコーディネーターのMさんの話が興味深かった。また、この地区にボランティアで参入するのに呉在住のスタッフSさんのご苦労があったことなど、いろいろ聴けて有意義だった。

食事とお風呂(車に乗り合わせて町のスーパー銭湯に入りに行った)の後、またちょっと雑談して深夜、寝袋に入る。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください