第2回・屋久島講座3-1/渓と密林に通す脈


前夜は空港近くの宿「はな千」に移動して、今後の取材や執筆についての打ち合わせ。その後は矢野さんと島の焼酎を飲みながら、様々な昔話を聴いたりしてなかなか面白かった。今日は一湊へ移動する。前回トレースした布引の滝から海までを検証し、さらに「一湊エコビレッジ」の敷地の手入れを続ける。雨上がり、梅雨時期の屋久島には珍しい晴れ間。

前回、座学が行われた樟脳工場の一角に木材で内装されたすてきな事務所ができていた。

スタッフたちは着くやいなや水脈のメンテを始める。

前回の移植ゴテの水切りと点穴だけの作業で、この広場は明らかに変化していた。この造成地は20年ほど経過しているが、雨の処理は見えるところはやっているが、敷地全体では機能しておらず、地面はカチカチになり、ここには水たまりやアクがあった。点と線をつなぐことで、それがきれいに消えていた。

法的にもそうだが、人の土地利用が見えない機能を見落としている。そこをきちんと循環させることは極めて重要で、ここでは隣接する川に向けて水脈を繋げていくことがテーマとなる。また溝や点穴を掘るだけでも雨の浸透が促され、晴れの日は大気圧によって地中に空気が送り込まれる。その結果、植物たちが根を伸ばし始め、さらに柔らかな土に変わってゆく。

ただし全体のバランスを崩さないことが大事だ、と矢野さんはいつも強調する。われわれは作業に熱が入りすぎて、ついつい部分的にやりすぎてしまう。

今日はどのぐらいのエネルギーをかけれるか、その作業量を考えながら、全体のバランスを崩さないようにムラなくつなぐ。1カ所に時間をかけすぎない。

今朝の宿で「この大地の再生で最も重要な概念はなんだと思うか?」との問いに、矢野さんは「道」であり「脈」だ、と答えた。それは現在科学的に解明されていない波動や音波を含めてのことかも知れないが、部分と全体をつなぐのが「脈」なのであり、末端の毛細な部分から出口の太い部分まで、均一に滞りなく流れることが重要なのである。

エコビレッジの敷地から布引の滝へ向かう。前回、流れを掃除し、風の草刈りを行なった沢は、見違えるほど美しく変化していた。天気や流量の変化もあるのかもしれないが(前回は雨降りで、しかもその日まで雨が少なく島全体が乾燥気味だった)、それにしても爽やかで明るく、軽快な流れになっている。

釣り師なら思わず竿を出したくなる、そして実際に竿を振りやすい沢になっている。飛び出している暴れ枝がなく、石周りにゴミもないからだ。そして落ち込みと瀬とのバランスがくっきりして子気味良い。

布引の滝も前回の倍はあろうかという水量。アクだまりは消え、木々の芽吹きが眩しい。

矢野さんも全体の変貌ぶりに驚いている。周囲の木々の多くに胴吹きが見られ、さらに枯れ枝からもそれが見られたからだ。胴吹きは病害虫や被圧などで葉が減少したとき木々が幹から出す特殊な再生芽だが、ふつうは枯れ枝から出ることはない。

そして今回も布引の滝の最上部まで登る。前回はこの急傾斜にあきらめた人もいたが、今回は全員が目指す。

なんとか無事到着。

目の前に岩盤を流れる滑滝の飛沫。

対岸の植物の様子も生き生きとしている。常緑樹は春に落葉するので落ち葉も増えており、その中から緑の芽吹きがあり、枯れ枝も目立たなくなった。

滝の脇に細流があり、その滞りを矢野さんが移植ゴテで掻き出す。参加者がそれにすかさず加勢するのだが「それはちょっとやりすぎ!」と指摘される場面も。あくまで全体のバランスを見ながら、流量や流速を調整して開いていくのである。

帰りは落石を避け、岸壁沿いにロープを設置してから下っていく。ガジュマルの気根が意外にしっかりしているので手すり代わりになるというのも得難い体験(笑)。

なんとか無事下山して広場で昼食のお弁当を食べる。空はいよいよ晴れ渡り、渓谷には各種のアゲハ類やイシガケチョウが群れ飛び、照葉樹の樹冠 にはツマベニチョウらしき飛翔が確認できる。アオスジアゲハの近隣種ミカドアゲハも飛んでいる。

食後は川筋を海まで手入れしながら下る。前回の手入れからいい感じで伸びてはいるが、今後の夏の成長をかんがみての手入れである。しかし矢野さんの手入れは決して根元からザクっと刈ることはしない。先端だけ刈る(ただし灌木の根元は風通しを確保したいので例外)。

灌木などは観察するといちばん伸びている1番手、2番目に伸びている2番手、奥に控えている3番手とあるが、1〜2番手までを刈り、3番手には刃を入れず残す。そうすることで、成長したとき穏やかな姿となる。

風の草刈りとは結局、植物の成長点を刈ることになる。その後の再生形態は植物によって様々だが、切り口から多数の新芽を出すものもあれば、脇芽を出すものもある。下に控えている3番手がやわらかく成長していくこともある。

岡山「百田の杜」でもレポートしたが、そのとき鋭利な刃物で切るより、のこガマやナイロンコードの刈払機でちぎるように刈ったほうが良いのは、鋭利な切り口よりも再生スピードが遅くなり、そのぶん栄養が脇芽や3番手に向かいやすいからである。まさに風の仕業を真似るのである。

隣が空き地の場合はそのバランスも考えねばならない。

下流域、橋の手前も見違えるほどすっきりして美しい。しかし少しは刈っておく必要がある。とくに川面の風通しは重要で、風が流れることで水が動く、ということがある。風と水はそれぞれ流体として粘性を持っており、分かち難い関係にある。

今回の風の草刈りビフォー。

アフター。前回はもっと塞がって陰惨な印象さえあった溪だが、見違えるほど爽やかになった。

このような溪は、昆虫たちも川面を気持ち良さそうに飛ぶ。水に依存するトンボ類はもちろん、チョウの仲間もこの空間を利用して飛び、砂地で吸水する姿が見られる。

刈り進むときも、曲がりノコやエンジンカッターの先発隊が先陣を切り、その刈り残しを後続隊がのこガマで整えていく、という隊列で行く。

海が近づいて河原に出る。

流れが片側に寄っているところでは、その解決策として塞いでいる石を動かす。ビフォー・・・

アフター(矢印が動かした石)。

ここも。ビフォー・・・

アフター(矢印が動かした石)。

前回は体積した土砂に伏流して流れが消えていた橋の下は、驚くことに水の流れがよみがえっていた。

しかも・・・

岩の右側に切って海につないだ水流は砂に埋まって・・・

岩の左側が河口になっていた。屋久島の小河川では大雨によってしばしばこのようなことが起こるそうだが、前回の私たちの作業がそれを後押ししたことも十分考えられる。

ここでも石を移動して、全体が一様な流れになるように調整する。

具体的には。流れが広く速い場所に3つの丸石を固めて置き、石の間には落ち葉を詰める。流れの強いほうはこれで破壊度が弱まり、弱い方に水流が回ることで泥アクがたまらなくなる。

道や脈を通すということが最も重要なこと・・・今朝の言葉を思い出す。

(続く)


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