岡山県、百田の大規模太陽光発電の反対署名は、5,000人以上集まったそうだ。今日はそのカウンターとなる「お地蔵様とお大師様巡り」のコースを地域の人たちと歩きながら、矢野さんに山と開発計画と崩壊の関係や、大地の再生のメカニズムを学ぶ。明日はまた別の講座が開かれるのだが、その発起人の若き猟師R君も来ていて、獣を解体した後の骨を、溝の有機素材(竹や枝と同じように)として使っている・・・などという怪しい話になる(笑)。
しかし獣の骨は髄が抜ければ中空になるのだし、炭と同じように微細な穴を持っている。「貝なんかも同じで、自然界というのは実によくできているんだよ」と矢野さんが口を挟む。死後の貝殻の重なりは微細なすき間を作り、泥砂地においてはやはり水や空気の通り道として重要なマテリアルになる、と。
まずは歩き始めに道端の小さな立木で風の草刈り。いつもの解説に加え、切り口がノコがまの場合と鋭利な刃物とでは再生の仕方が違うという説明が入る。鋭利な切り口だと形成層がすぐに回復して根から養分が回るが、荒い切断面だと回復が遅いので下部の枝葉に養分が行く。つまり、ノコがまの切り口の方が、より穏やかな成長となる。風が草を折るときも同じように刃物的ではない。ナルホド、ノコがまをやエンジンカッターにナイロンコードを使うのはそんな意味もあったのか。
U字溝のある歩道を歩きながら山の説明を受ける。矢野さんは造園業をやっていく中で植物は肥料や水だけでは育たない、空気が動くことが重要なのだということに気づく。水が動くとき空気もいっしょに動いている。空気が対流しないと水も動かない。
空気が通らなくなると山では腐葉土が消えていく。これはバクテリアのせいだ。空気が動けば好気性のバクテリアが優勢になり有機物が腐らない。が、空気が通らず嫌気性になると嫌気性のバクテリアが腐葉土をバリバリ食べて分解する。
本来なら森の林床には落ち葉が厚く堆積し、土との接触面だけが嫌気的になり、その部分だけ分解されていく。その分解される量を、次の落ち葉が補完するので常に厚い落ち葉の堆積があった。が、今は腐葉土が残らない。木は頑張って落ち葉や枝葉を落とそうとするのだがそれも追いつかない。それを助長しているのはU字溝や堰堤などのコンクリート構造物だが、その前後に点穴を掘るのが解決策として一番早い。
1m程度の間隔で点々と掘り、その深さはケンスコの半分ほどで良い。U字溝の中や点穴に溜まった泥は取り出して晒しておくとすぐに好機的に分解されて良い肥料となる。また、空気が動くことで道の方にも木の根が張り出し、柔らかだけれど強い地面ができる。その柔らかさを持続させる手入れが重要なのだ。木の根は空気が通ると地形を守ろうとする、通らないと壊そうとする。
途中に出会ったため池は水が濁っていた。周囲の木々の枝が水面すれすれまで垂れ下がっているのは弱っている証拠。地中の空気が動いて元気になれば枝は上向きに変化していくそうだ。後からの工事で、ため池の堤を必要以上に大きく重くし、コンクリートを使ってしまったのも良くない。
昔の土木は、無理のない川や池の機能を損なわない土手造りをしていた。また、入ってきた水が池全体を循環するように水の入りと出を考えて造られていた。そんなため池は土砂が溜まりにくい。また、地下からも地上からも対流の強い所に作られたため池は土砂が溜まらない。昔のため池はみな水が澄んでいた。お年寄りたち誰に聞いてもそう言うそうだ。つまり、水の濁りはため池の健全度のバロメーターなのだ。
対策はやはり土手に点穴を掘ることと、流入部の掃除である。小沢なども落ち葉や枝の詰まりを取り去り、地上部の風通しを良くすると、途端に周囲の植物が元気を取り戻す。これは驚くべきことだが、本当なのだ。そして、昔の人は恒常的にこれをやっていたのである。それは水の管理に命がかかってたからと言うこともあるだろう。しかし、その結果、澄んだ水が日常のそこかしこに見られ、植物が元気で美しく、豊かな昆虫や小動物を育んでいた。
私は子供の頃から澄んだ水の環境が大好きだった。茨城の水戸という平野部で育ったので、周囲はすでに濁った水の環境が多かったが、そんな中でも透明な水環境に出会うと嬉々として遊んだものだった。澄んだ水への志向、これは何も私だけではないだろう。そのように神様が人間を創ったのだ。
しかし、西洋の学問になぜ「空気の視点」が欠けていたのか? 矢野さんは「アングロサクソンは移動する民族。だから定点観測をしてこなかった」と言った。彼らは森林を伐採して麦作と牧畜を繰り返してきた。彼らの主食である麦は水耕栽培の稲とちがって連作がきかない(その移動のためにヨーロッパの南部や中近東は森が消えていき、砂漠化さえした)。確かに同じ場所を繰り返し見る経験がなければ「空気が動くことが重要」という発見には至らないだろう。
途中、山を切って土を採った後の斜面に出くわすが、ここは何年も草が生えていないという。採掘工事の後によく見られる安定勾配で押さえ犬走りを切った跡があり、そこにだけ青木や青草が生えている。雨が掘った筋がいくつも見られた。普通、日本では裸地は一夏で自然緑化してしまうが、ここが再生しない理由もまた、斜面の下流地点が道で転圧され、工場敷地やアスファルトで固められていることにある。
それだけではなく、斜面の仕上げを直線と平面だけの幾何学的な形態にしていることにもよる・・・と矢野さんは言う。地形というものは雨が削り出したものと私たちは思っているが、実は空気が創る彫刻であるという。だからその場の水脈と空気の流れ(地下と地上のバランス)を読み取り、それに沿った形態で採掘跡を仕上げれば、緑の回復はずっと早くなる。
もし百田の山を囲むようにメガソーラーができるとすれば、山の地形は幾何学的に切り盛りされ、自然が作り出した空気の彫刻としてのバランスは崩れる。もちろんその前に森林が伐採され、それによって植物が作っていた緩やかな空気流は消失し、斜面を風がすばやく流れ去る。結果、河川への泥水の流亡や異常気象が起きることは目に見えている。
尾根筋に点々と残されたお地蔵さんやお大師様の石仏を見た後で、山に囲まれた棚田と下の町を見下ろすとき、「山はあらゆる自然の原点」なんだとあらためて思う。昔の人はそんな気持ちを伝えようと、このような遺跡や信仰を残したのかもしれない・・・とさえと思うのである。