四十九日


四十九日の法要は午後2時から高松市の日妙寺で行なわれ、その後住職をともなって墓に移動し、納骨式が執り行われた。景色がいいぶん、風が吹けば寒い場所なのだが穏やかに晴れ、やがて屋島が夕映えに輝いた。振り向けば大樹の間から日の光が燦爛している。夕日が好きだったyuiさんらしい一日だった。

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まさか私が墓まで造るとは思いもよらなかったが、10/1、Gomyo倶楽部のイベントの帰り道に訪ねたその霊園は、たしかに屋島を望む絶好の地で、よくぞこんな場所に・・・と思われされた。古くからの地域の共同墓地の上部に、国有地を買い取って新たに造成されたということだった。

屋島は高松のランドスケープの中で最も象徴的な山である。古くは源平の合戦の地であり、山上には八十八箇所の寺をもっている。私たち二人にとっても屋島は思い出深い重要な山なのである。だからTortoise+Lotus studioのロゴの中央には屋島をデザイン化して描いている。

霊園の区画は石材屋が所有しており、その場所を買うということは、その石材屋に墓石をお願いするシステムになっている。調べてみるとその石材屋は意外やアトリエから遠くない場所で、買う買わないはともかく訪ねてみることにした。

何しろ墓石を造営するにはある程度の日数をみておかねばならず、四十九日に間に合わせるには急がねばならない。その石材屋が所有する区画は霊園の中にばらばらに10個所ほどもあり、展望によって値段がちがう。地図を貰って翌日また調べに行った。

すると所有する区画のうち、「ここしかない!」という一点があった。眼前に屋島、五剣山、西には高松市内のビル群と瀬戸内海まで望める。前方がすぐ道なので他の墓石が風景をじゃましない。墓など造らず、お寺に永代供養をお願いするという方法を、私は漠然と思い描いていたのだが、この場所に立って、一気に心が動いた。

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しかし、場所代だけでなく、墓石の金額もかなりのものである。そこで石は最も廉価な規格型の洋墓タイプで他の付属物は一切置かない。そこにイラストと文字を墓石に彫ってもらうことにしたのである。

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いずれ私もここに入ることになるが、このような絵を刻むことで、天界のyuiさんを縛ってしまうことになりはしないか? という思いも抱いたが、時間は待ってくれない。石材屋と入念な打ち合わせの末、SHIZUKUのロゴと線画のイラストを原寸でデータ化した。

現在は石の彫りもコンピュータ制御であり、かなり細かい線も描けるが、見栄えするようにタマリンは線を単純化し、どんぐり君は香川でのボランティア時代に彼女自身が描いた絵をトレースした。ちなみにSHIZUKUのロゴはyuiさんの原案である。彼女のルーツのひとつと思われる北欧・ケルトの雰囲気がよく出ていると思う。

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こうして遺骨が納まり、宴席を終えて本位牌と共にアトリエに戻った。黒塗りの位牌が屋久杉の厨子に納まると、それがまたよく似合い内部が引き締まった。会津塗り「勝美型」の伝統的な位牌だが、黒に金だけでなく一部に研ぎ出しで朱茶色が出ている。位牌もまた、これ以外に考えられないというチョイスだった。

四十九日を終えてようやくyuiさんのこと語れる気持ちになったが、生前お世話になった多くの方々、とくに群馬の友人知人や全国のyuiさんファンにここまでお伝えすることができず申し訳なく思っている。

彼女はこのアトリエの建設中の後半、二人で壁塗りを終えた後に倒れ、緊急入院で手術を行なったが癌はすでにステージ4であった。抗癌剤を拒絶しアトリエで自然食や温熱などの民間療法を試みたが、その後も2度入退院を繰り返し、最後は在宅看護で息を引き取った。

yuiさんを慕って高松にお立ち寄り下さるなら、どうぞこのお墓にもお参りくださいませ。


「四十九日」への2件のフィードバック

  1. 岡山の斉藤(福嶋)純一です。
    yuiさんの突然の訃報に接し驚いています。

    「この町で」のお二人のハーモニーとギターの伴奏がいまでもずっと心に鳴り響います。
    そして「この町で」のメロディと歌詞をずっと口ずさんでいました、毎日のように。

    yuiさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

    1. ありがとう。津山の個展では本当にお世話になりました。とてもいい思い出として心に残っています。

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