2日前に仏具店から届けられた厨子である。屋久杉が使われている。賞賛されるほどの杢(もく)は出ていないが、屋久杉独特の色合いにすばらしい木目が揺れている。店頭で見て一目惚れしてしまった。
内陣も笹杢が美しい。屋久杉のつくりものは当然高価だが、小型の厨子なら私にもなんとか手が届く値段である。無垢の木はサイズダウンするとぐっと廉価になるものである。大物をこしらえるために木取りをしたときの、端材などが利用できるからであろう。
引き出しや蝶番の精度も確認済みだ。自分で作り上げたテーブルに載せてみると、愛工房の板とも色合い、質感ともに相性がぴったりだった。
yuiさんが亡くなってひと月半が過ぎ、明日が四十九日の法要になる。今日はお寺の住職さんに来ていただき、仏壇の開眼供養をしていただいた。なにしろ初めてのことで厨子は手にいれたものの、何を用意したらいいのか分からない。
店は当然のこと仏具のセットを薦めるが、この小型の現代仏壇では普通サイズのものを入れたら窮屈になってしまう。また、作家性の濃い調度品では屋久杉の良さが活かせないのでは? とも思った。
yuiさんも私も、木造文化や工芸が大好きで、これまでやってきた。この家はその想いの結晶だとさえ思っている。このスギ材で囲まれた家に、屋久杉の現代仏壇を置いて使いこなしていくのはその延長上にあることで、これも新しい創造なのだ。
住職に相談してみた。とりあえず家にあるものでやってもいいという。ご本尊となる曼荼羅、そして仏飯器と湯飲みだけ購入し、葬儀のときに持ってきてもらった香炉と燭台、りんを使い、花瓶は家にある普段使いの小さな萩焼を置いて三具足とする。
仏器膳は木目と色合いのいいスギ材の幅木を寸法に切り、上面に蜜蝋ワックス(自家製ニホンミツバチのもの)を塗って作った。果物を盛る椀はyuiさんの持ち物である讃岐肥松の刳物(くりもの)。
住職は仏壇を見るなり「いいものを見つけましたね」と言い、自作のテーブルを喜んでくれた。こうして読経が始まり、仏壇は無事開眼され、厨子にいのちが吹き込まれた。
明日はyuiさんの位牌がここに入る(黒の会津塗りのものを選んだ)。
この屋久杉を見るたび、yuiさんと屋久島を旅したときのことを思い出す。Copenで西部林道を走り、縄文杉を歩き、最高峰の宮之浦岳に登った・・・屋久島は思い出の地なのである。
ところで、厨子と祭壇に明りが灯ることで新たな求心点が生まれたわけだが、周囲の棚や机や壁掛けの絵までもが、まるでこの仏壇をきれいに見せる布陣のように見えて驚いてしまった。
窓のサイズとそこに掛かるプリーツブラインドもそうである。まるで最初からここにこの祭壇と厨子が来ることを予言していたかのように・・・。この美しさを、私ひとりで見なければならないのが悲しいのだけれど。