北鎌倉(1日目)/円覚寺〜ZOOM会議


サンライズ瀬戸は日本の鉄道で唯一残された寝台夜行特急である。車体のデザインは新しく非常に使い良い。運賃もそれほど高くないので、僕は東京方面の移動にはよく使っている。なにしろ高松始発なのがありがたい。横浜には6:44着。横須賀線で北鎌倉までは20分で着く。

北鎌倉駅は小津安二郎の映画『麦秋』『晩春』で原節子が出勤するシーンが忘れがたい(原節子、大好きなので♡)。この界隈は鎌倉のなかでもあまり変わっていないらしい。

今日は「大地の再生」の学術連携会議で東慶寺の宿舎をお借りするのだが、集合時間にまだ早いのでそれまで円覚寺を見学することにした。といっても開門までまだ30分ほど待たねばならない。

円覚寺は北鎌倉の中でも有名な禅寺である。まず山門が立派!

円覚寺の建物は関東大震災でほとんど倒壊したが、この山門は残った。12本のケヤキの柱が【礎盤】と呼ばれる丸石に接続されている。地震のときこれが振動を分散してくれるのだろう。

門の左手に松嶺院。映画人や作家の墓が多数あるらしい。かの開高健の墓所もここにあるという。お参りしてみたかったけど、入り口が閉ざされていたのでかなわず。

仏殿は一見木造だが、そっくり形をコピーしたコンクリート造りだった。

天井には前田青邨が監修したという「白龍の図」。御本尊は冠を被った宝冠釈迦如来。華厳の盧遮那仏とも称される。

僕が惹かれたのは左翼にある達磨像だ。禅宗の始祖、達磨大師は禅画において厳しい表情で描かれることが多いが、この若き達磨像は少年のように初々しく優しい。

鎌倉〜三浦半島に特有の隆起地層の崖が見える。

鎌倉ではこの崖に穴が空いている風景をよく見るが、これは中世の横穴式墳墓「やぐら」と呼ばれるもので、全体で2,000~3,000基もあるという。中には石塔や石仏があるものも多く、高僧や武士らの墓所として供養された跡がうかがえるが、発生の起源などはまだ解っていないないらしい。

方丈にある柏槇(ビャクシン)の古木。弱っているらしく幹にかなり痛々しい処置の跡あり。

方丈の庭。心字池のある庭園。禅寺の建築芸術における核心部といっていいところ。

創建当初よりある放生池 。江戸時代初期の絵図に基づき、平成12年(2000)に方丈裏庭園と合致した自然の姿に復元。向こう岸の露出した岩盤を虎の頭に見立てた「虎頭岩(ごとうがん)」と呼ぶ。

いよいよ国宝の【円覚寺舎利殿】へ。残念ながら近づいて見学はできない。しかし図版で何度も見てその素晴らしさは感じている。

石垣につく苔や草本類。鎌倉の石垣や崖にはイワタバコが多く見られる。

国宝の鐘楼。

その高台から東慶寺を見る。北鎌倉一帯は小規模な谷戸全体を1寺院が占めるよう配備されているのが解る。尾根部にナラ枯れ? と思わしき枯れ跡が。

横須賀線によって境内から分断された白鷺池は濁っていたが、県道に沿って流れる水路は澄んでいて小バヤが泳いでいたりする。

午後からZOOMを交えた学術連携会議。矢野さんほか地理学者の掘先生、ガーデナーの正木さん、スタッフ数名、リモートで新潟大の粟生田先生、立命館大の田中先生が参加。

夕食は大船へ。なんと、ヴィーガン中だというのに誘われたのはとんかつ屋だった!コロナで遅くまでやっている店がすごく少ないみたいだ。アジフライがあったので、ヒレカツとのセットをチョイス。久しぶりの魚肉はやはり旨い(笑)。

食後、銭湯へ。湯船が深くて、やけどの傷がひたらないように入るのはなかなか大変であった(笑)。

その後、東慶寺の宿舎で矢野さん正木さんと深夜までディスカッション。12時を過ぎるとさすがに夜行疲れが出て眠い。ここに泊めていただくのは2度目。敷布団をお借りして、寝袋をかけて爆睡する北鎌倉の夜・・・。


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