台風一過の好天に誘われ「アトリエにすぐ戻るにはもったいない!」というわけで、海沿いでもう一泊を企てる。宿は西伊豆、土肥の温泉民宿に決めた。とはいえカーナビをセットした目的地は「浄蓮の滝」。
この滝は伊豆山中で最大の観光スポットで、今日は土曜日なので人がいっぱいだ。おまけに滝にはカメラマニアのおっちゃんたちが三脚をずらりと並べて写真を撮りまくっている。土産もの屋の喫茶店で食べた「わさびアイスクリーム」が秀逸だった。コースターのワサビキャラが可愛い。
しかしまぁ伊豆は温泉王国で、山中には秘湯の宿もあるんだけど、さすがに歴史ある湯治場だけに値段が高い。僕らは温泉ガイドで食事付き1万円以下の宿を選んだ。目の前のどでかいホテルに景色は遮られているが、海まで徒歩5分の宿。温泉は入り放題だし、海の幸を十二分に堪能できたし、海岸の夕日がすばらしかった。
修善寺~湯ヶ島間では台風で被害を受けた人工林の山をたくさん見た。スギとヒノキ両方。放置竹林もひどいものだった。道から写真を撮っていると、その被害斜面の下の家でおばさんが洗濯物を干していたので話を聴いてみた。先日の台風で崩壊したということで、おばさんは堰を切ったように話し出した。所有者は近くの別の人らしく「ここに住んで17年になるけど、その間、山の手入れしたのを見たことは一度もない」という。「風と大雨がくるたびに怖くて眠れないんですよ。あなた新聞社の方? なんとかしてくださいよ」とおばさんは懇願するのだった。
天城峠を越えて、下田で昼食をとり、山中を松崎へと向かった。松崎には鏝絵の名工、入江長八の作品がみられる「長八記念館」(浄感寺)がある。ここは長八の菩提寺でもあり、総ケヤキの寺の建物と一体となった天女像や竜の天井画などの傑作をみることができた。しかし、最初ぼくらはこの記念館や作品の存在を知らず、「伊豆の長八美術館」という町立の建物を目指していたのだ。
ところが、まるで導かれるようにたどり着いた記念館で「あれは町がウチを真似してでっちあげたもので、長八の傑作はここでしか見れません」と館のおじさんは憤りつつ、きっぱり断言するのだった。その後、町が造った美術館もざっと外側だけ眺めてみた。それはコンクリートとガラスの奇妙奇天烈なデザインによるゲテモノ建築だった。高名な賞を得たというこの建築、隣にはさらに怪奇なデザインのカフェレストランがあり、ガラスにはカーテンがかかり、クーラーが全開で回っている。
長八の鏝絵は左官工の余儀などというレベルではなく国宝級の作品であると思う。西洋のアーティストに比してしまうのは僕の悪い癖だが、この寺の欄間にある天女のレリーフは、ボッティチェルリの「ビーナスの誕生」を思わせる繊細な美しさがある。構図や構成もすばらしい、半立体の捉え方、その技術も凄い。幼少期から世話になっていたこの寺への恩義として、1年間ここに逗留しながら製作したという、その有無を言わさぬ「思い」が、建築空間から伝わってくる。テレビや教科書では決して紹介されることのない美が、まだ日本には眠っているのだ。天界から長八に導かれたのだと思った。