屋久島紀行9.(九州、筌の口の湯)


高度成長時代、有名温泉地は歓楽地になり、コンクリートのホテルと化し、加えて循環風呂と化した。源泉の湯量は限られている。そこに内風呂をつけた大きな宿をつくればお湯が足りなくなる。そこで水増し、加温、循環ということになる。

その後の温泉ブーム。ここではボーリングによる強引な掘削工事でお湯をくみ上げた。また温泉法というザル法のおかげで、湯温や成分に関係なく温泉と呼べるようになり、各地に日帰り温泉施設がどんどん造られていった。全国各地、この新設のほとんどが、循環風呂である。

これらの施設は当然ながらコンクリート施設となり、ジャグジー(泡風呂)やシャワーなどを完備した内風呂、それに露天風呂を設けている。休憩室や食堂などもあり、豪華ホテル並の施設なのだ。そして、自動車で入りに来るのを前提としているので、大きな駐車スペースがつくられている。

これがどんなところにつくられているのか? ようするに山を削り、農地などをつぶしてこのような施設を新設しているのだ。私は全国各地に巨大マーケットを造るEを批判しているけれども、それと同じようなことを、これら温泉施設は犯している。

温泉は源泉掛け流しで、しかも湧出地そのものか、からできるだけ近い場所に湯船があるのが良い。昔からある温泉地の外湯(共同浴場)はそのような場所に造られているもので、たとえば有名温泉地などでも昔は、多くの宿は内湯を持たず、客は宿は泊まるだけで、湯は外湯に入りに行ったのである。

今回訪れたK温泉の外湯は豪華施設に生まれ変わり、皆循環風呂になっていた。しかも値段は2000年当時の倍額になっていた。そして、春休みの大学生が集団で大勢、ヒマな平成のジジババ様が大勢、傍若無人なふるまいと不快な大声を立て、循環風呂に湯垢を送り込んでいたのである。

佐多岬から大分へフェリーで渡る。夜、山中をひた走り、九重連山の中にある「筌の口(うけのくち)温泉共同浴場」に行った。分かりにくいところにあり、駐車スペースも極小だが、苦労してたどり着いただけのことはあった。大きな湯船に黄土色の湯が滔々と溢れている。湯口にコップが置かれているのは、「飲泉」ができるということで源泉掛け流しである証明でもある。入浴料は200円だった。

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本物の温泉は体に心地よく、匂いが良い。そして実に効く。体の芯まで気持ちよく、それが長く持続するのだ。温泉で元気を得て、仮眠しつつ夜通し長崎まで下道を走り続けた。


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